晩年は故障に泣かされたが、泣き言は言わなかった。19年は左手に死球を受けて骨折。拳を握るたび、グラブをはめるたびに激痛が走った。7月7日の誕生日で38歳となった。勤続疲労で全身が痛み、毎試合前と就寝前に痛み止めは欠かせない。「『治ってくれ』と思いながら飲んでいる。おまじないみたいなもの」。献身的に支えてくれるトレーナーや治療院の先生のおかげでグラウンドに立ち続けた。
ファンや、OBの思いも背負っていた。NPBの現役では最後の近鉄出身選手。「始まりを作ってくれた球団で感謝の思いもある。背負わないといけないし、責任もある。忘れた人なんていないと思う。みんなこれからも思い続けてほしい」と素直な願いが口をついた。
今後は未定だが、「いずれは指導者になって若い子の手助けになれば。ずっと野球には携わっていきたい」と語った。
181センチ、82キロのスリムな体で全力プレーを続ける姿が多くのファンを魅了した。3球団を渡り歩いた最後の猛牛戦士がユニホームを脱ぐ。
■坂口 智隆(さかぐち・ともたか) 1984(昭和59)年7月7日生まれ、38歳。兵庫県出身。神戸国際大付高では2年春にエースとして選抜大会に出場。2003年ドラフト1巡目で近鉄入団。05年にオリックスへ移籍し、11年に最多安打(175)を獲得。08年から4年連続でゴールデングラブ賞(外野手部門)を受賞。16年からヤクルトでプレー。181センチ、82キロ。右投げ左打ち。独身。年俸5000万円。背番号42。
■大阪近鉄バファローズ 近畿日本鉄道を親会社として1949年に近鉄パールスとして設立され、パ・リーグ創設に参加。59年から近鉄バファロー、62年から近鉄バファローズに改称し、79年に西本幸雄監督の下、球団創設30年目でリーグ初優勝を飾った。チャーリー・マニエル、梨田昌孝らを擁した強力打線は「いてまえ打線」と呼ばれた。
88年10月19日には連勝すれば優勝のロッテとのダブルヘッダー2戦目(川崎)で延長十回時間切れ引き分けとなり、西武が優勝。「10・19」の名場面として語り継がれている。
90年代は野茂英雄らが在籍し、99年から大阪近鉄バファローズに改称。2001年には梨田監督の下、12年ぶり4度目のリーグ優勝。04年に経営難からオリックスに営業譲渡し、解散。所属選手は分配ドラフトでオリックスと新規球団の楽天に振り分けられた。
リーグ優勝4度、日本一なし。通算7252試合3261勝3720敗271分け、勝率・467。本拠地は藤井寺、日生、大阪ドーム。
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