そして糸井。3位巨人(65勝68敗3分=勝率・4887)を1差で追う同率4位(65勝70敗3分=勝率・4815)の広島との一戦だった。2点を追う五回無死、代打で登場し、左前打を放って、球場は盛り上がった。その回、敵失で1点差とし、六回に同点に追いついた。だが延長十一回、7番手の岩貞の失策から、一気に6点を奪われ、万事休す。4時間38分の熱戦の後、午後11時過ぎから始まった引退セレモニーは糸井らしさがあふれていた。ただ記憶に残るイベントの開始前、試合に敗れた時点でチームの今季負け越しが決まっていた。
冒頭でも触れたが、引退試合は難しい。自身もチームもファンも何の憂いもなく心の底から喜べるエンドマークを記すラストゲームには、なかなかお目にかかれない。今季限りでの退任を公表し、「俺たちの野球」の集大成は、就任4年目にして、初の負け越しとなった。最大借金「16」から最大貯金「3」までたどり着いて、コロナ離脱もあり、毎度お馴染みの9月失速が待っていた。乱高下を繰り返した今季を象徴する結末となった。
自身の引退試合で胴上げされる阪神・矢野(2010年9月30日撮影)残り3試合のチームは、いつ完全終戦を迎えてもおかしくない状況を漂っている。CS進出の奇跡が起きなければ10月2日、甲子園でのヤクルト戦が、矢野監督の〝退任試合〟となる。当日は日曜日で午後2時開始のデーゲーム。秋空か秋雨か…。別れを惜しむ指揮官とナインの光景が何となく目に浮かぶ。目に見える。長年横たわる球際の弱さを解消するどころか、また失策に泣いた。貧打拙攻のオンパレードだった。無死二塁で進塁打のサインさえ出さなくなったチームがようやく終わる。最後だけは理に適った〝サヨナラゲーム〟を見てみたいのだが…。同時に、それは叶わぬ願望だということもわかっている。(敬称略)
■稲見 誠(いなみ まこと) 1963年、大阪・東大阪市生まれ。89年に大阪サンスポに入社。大相撲などアマチュアスポーツを担当し、2001年から阪神キャップ。03年、18年ぶりのリーグ優勝を経験した。現在は大阪サンケイスポーツ企画委員。
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