村上(右)の入団から2年間、一緒にプレーしたバレンティン(2019年7月15日撮影)。後輩に激励のメッセージを寄せた ヤクルト・村上宗隆内野手(22)が16日、中日22回戦(バンテリンドーム)に「4番・三塁」で出場し、3打数無安打1四球。今季55本塁打で1964年の王貞治(巨人)と並んでいた日本選手のシーズン最多記録更新はお預けとなった。一方、2013年にプロ野球記録の60号をマークした元ヤクルトのウラディミール・バレンティン外野手(38)から弟分へ、激励のメッセージが届いた。チームは0-8で敗れたが、2位のDeNAも敗れ、優勝マジックは「9」となった。
大差のついた九回2死だったが席を立つファンは皆無だった。九回2死。村上と根尾の対決に熱視線が注がれた。フルカウントからスライダーが内角低めに外れると、バンテリンドームにはため息が漏れた。
3打数無安打1四球。チームも大敗を喫し、悔しそうな表情で球場を後にした主砲の背中を押すように、兄貴分からメッセージが届いた。
「55本塁打を達成できたことは誇らしい。ぜひ、自分が持つ60本塁打を破り、65―70本塁打を達成して新しいシーズン最多本塁打の日本記録保持者を引き継いでくれることを期待しています」
2011―19年までヤクルトに在籍し、13年にはプロ野球記録となるシーズン60本塁打を放ったバレンティンが祝福した。18年に入団した村上とは2年間、一緒にプレー。1軍に定着した19年はバレンティンが主に4番だったが、村上が4番に入ることもあった。バレンティンは「My boy(兄弟)」と呼び、村上は「COCO(ココ)」と愛称で呼び合う仲だ。
バレンティンは初対面したときのことを今も鮮明に覚えている。「1年目に1軍に上がって来たとき、『バットを頂けますか』とお願いされ、彼にバットを1本あげたのを覚えています」と振り返った。19年は一気にブレーク。「彼と一緒にプレーしているときから、彼が〝ただ一人〟自分の本塁打記録を破る可能性がある選手だと感じていました」という。