1982年5月、土俵入りを披露する横綱若乃花=蔵前国技館(共同) ■7月20日 温泉とスキーで知られる青森・大鰐町には2度ほど足を運んだ。二代目横綱若乃花(下山勝則さん)の現役時代で生い立ちなどの取材だった。実家で迎えてくれた母親のイヨさんにとって5男1女のかわいい末っ子。「カンボ(勝則)はな」とフランス語のようなイントネーションの難解な津軽弁で一生懸命話してくれた。
その二代目若乃花が16日、肺がんのため亡くなった。69歳。色白の役者のような二枚目で津軽なまりを気にしてか口は重かったが、憎まれ役の北の湖とは対照的に女性に圧倒的な人気があった。すらりとして柔らかい体と懐の深さで思い切りのいい投げは切れ味があった。
下のころは朝ノ花、十両入り直前に若三杉に改名した。ともに容姿に合ったみずみずしいしこ名だった。横綱昇進が近づき師匠の〝土俵の鬼〟二子山親方(初代横綱若乃花)にしこ名について聞くと「ワシの名を継がせるよ」。特ダネにはなったが、荒法師のような師匠の相撲とはタイプが違い若三杉からの改名を惜しむ声も多かった。
横綱昇進後は師匠の長女とスピード離婚、けがや内臓疾患でも苦しんだ。弘前市出身の師匠としては同郷のまな弟子を部屋の跡継ぎと見込んでの改名や結婚だったが、〝じょっぱり〟(意地っ張り)の二代目は敷かれたレールの上を走るのは本意ではなかった。ふと見せる笑顔にもどこか物寂しさを感じさせたものだ。
引退後は間垣部屋を興し、春場所担当部長時代の07年大阪で脳出血で倒れた。その2年前には再婚した侑子夫人に先立たれた。60歳で協会退職後は大阪市内の介護施設で暮らしていたという。光と影の冷酷なコントラストには言葉もない。ご冥福をお祈りする。(今村忠)
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