アジア最終予選で大活躍した伊東。W杯でも大暴れする 11月21日開幕のW杯カタール大会まで5日で200日。日本の出場権獲得に貢献し、本大会での活躍も期待されるのがFW伊東純也(29)=ゲンク=だ。このたび父・利也さん(56)、母・由香さん(55)、小学生時代に所属した横須賀・鴨居SCで代表を務める原田康臣さん(60)が本紙の取材に応じ、「イナズマ純也」の素顔を明かした。(取材構成・山下幸志朗)
神奈川・横須賀市に男3人兄弟の長男として生まれた伊東は、父・利也さんから一字取って「純也」と名付けられた。生後8カ月で歩き出すなど運動神経はよく、小学1年から横須賀市の鴨居SCでサッカーを始めた。
上達は早かったが、試合中にボールが来ないと「急に休憩モードに入るときがあった」と母・由香さんは振り返る。伊東は脚をクロスして棒立ちで戦況を眺めているのだが、ボールがくれば俊足で追いつき、ゴールを決めていた。「マイペースで自己中心的だけど、憎まれない。周りが許してくれる何かを持っている。ボールを持つと何かを起こしてくれる、という期待感があった」と由香さんは懐かしむ。
鴨居SCの代表を務める原田さんは「あの子は感覚でやっていました」と明かした。後輩たちへドリブルの手本を見せるように指示すると、同学年の他の子供は基本通りコーンの間をジグザグに進んでいくが、伊東はその場の感覚でフェイントを入れるなどアドリブを披露。一度見ただけでは動きを理解できず、原田さんが「もう1回」と頼んでも、伊東は「1回やったことは(再現)できない」と答えていた。
「上半身だけ体を動かすフェイントとかは、日本代表の試合でも見られますよね」と原田さん。小学6年生で、すでに今と変わらぬプレー感覚を持っていた。そんな伊東も、中学生に上がる際はJ1横浜Mのジュニアユースに落選。その結果、横須賀シーガルズに入団し、高校は地元の逗葉高へ進んだ。大学は複数の誘いがあったが、家から通え、寮生活ではないという理由から神奈川大を選んだ。
年始に行われる鴨居SCの初蹴りでは、横浜MなどJリーグの下部組織に進んだOBに子供たちの羨望のまなざしが集まるが、伊東は逗葉高のジャージーなどで参加していた。多くを語らない伊東が仲間とランニングをしているときに「絶対に負けない」とぽつりと言い、静かに闘志を燃やしていた姿を原田さんは今も思い出す。
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