2018年の年末に撮影した家族写真では、母を励ますために全員で帽子を被った。(左から父・尚恭さん、長岡本人、母・綾子さん、姉・史紗さん、兄・辰真さん(家族提供) 2021年の年末に年賀状用に取った家族写真(左から本人、父・尚恭さん、母・綾子さん、兄・辰真さん・家族提供)知られざる親子の絆があった。ヤクルト・長岡秀樹内野手(20)は、千葉・八千代松陰高から入団3年目で初の開幕スタメンを勝ち取ると、全16試合に遊撃で先発出場し、打率.238、5打点と躍動している。若手注目株がプロ入りまで歩んできた道のりとは―。母・綾子さん(54)が愛息との秘話を明かした。(取材構成・森祥太郎)
シンデレラボーイのように頭角を現した長岡には、固く結ばれた親子の絆があった。母・綾子さんは「秀樹のおかげで私は生きていられる」と声を震わせた。
「秀樹から骨髄をもらって、今こうして生きています。秀樹の活躍を球場やテレビで見て、すごく楽しませてもらっている。移植をしてから丸4年がたちましたが、感謝しかないです」
3人きょうだいの末っ子の長岡が高校1年時の2017年8月。綾子さんが血液のがんである白血病だと分かり、医師から「骨髄移植をしなければ死んでしまう」と宣告された。早急な手術が必要だったが、適合するドナーが見つかる確率は一般的に数百人から数万人に1人。血のつながった家族でも4人に1人とされ、完全一致するドナーを見つけることができなかった。約10カ月に及んだ抗がん剤治療。希望の光となったのが長岡だった。
家族の中でただ一人、HLAという白血球の型が半分一致することが判明。完全には一致しないため合併症を発症するリスクは高かったが、医師から「試してみる価値はある」と勧められ、骨髄移植に比べて生着(移植した細胞が正常に機能すること)が早い末梢(まっしょう)血幹細胞移植手術に踏み切った。
18年3月13日。手術は無事に成功した。喜びと安堵(あんど)に包まれた約1カ月後。長岡は春の千葉県大会に向かった。綾子さんは思いを込め、病室で点滴を受けながらユニホームに「6」の背番号を縫いつけた。
母は息子のために応援を続けた。息子は闘病生活を送る母に元気を与えようと汗を流した。支え、支えられ、3年夏には千葉県大会で準優勝。プロも注目する存在となっていた。