遠い昔の授業を思い出す。科目は地理。黒板につり下げられた大きな世界地図をみながら、各国の主要都市を覚えたものだ。
ロシアによるウクライナへの侵攻が続く。テレビ画面には連日、同国の地図が映し出され、無残に破壊された街の様子が繰り返し、繰り返し。胸苦しさとともに、首都キエフの位置はもちろん、周辺の地名も刷り込まれてしまった。
同国第2の都市。「ハリコフ」。東部にあるこの街周辺も攻撃を受けていた。当地は大相撲の「昭和の大横綱」といわれた、大鵬の尊父の出身地だ。
ボリシコ・マリキャンさんはウクライナ系ロシア人で、極東へ移住。共産政権を嫌って、当時、日本の治政下にあった南樺太(サハリン)へ亡命。そこで大鵬の母、納谷キヨさんと結婚。納谷幸喜(大鵬の本名)さんを授かった。
納谷さんは平成25年1月に亡くなったが、かつて夫人の芳子さん(74)からこんな話をうかがった。ボリシコさんの写真は手元に1枚しかなく、それはキヨさんから内々に芳子さんへ渡されたもの。キヨさんが亡くなった後、芳子さんが納谷さんへその写真の存在を初めて明らかにしたそうで、自宅に飾ったとも聞いた。
納谷さんが3歳のころ、ロシア人の居留地移住のため、父と離れた。昭和20年8月、日ソ中立条約が突然破棄され、第2次世界大戦末期に対日参戦。樺太にいた納谷さんらは命からがら内地へ引き揚げ、永遠の別離となったという。納谷さんがいま、戦火にあるハリコフの街をみたら、どんな思いがするだろう。
昭和40年7月、大鵬は日本相撲協会が行った初めての海外公演に参加。旧ソ連のモスクワとハバロフスクを訪れた。このとき、大鵬はひそかにロシアの土を持ち帰っている。
平成12年6月、納谷さんは元横綱だけが行う赤い綱を締めた「還暦土俵入り」を披露した。36歳のときに脳梗塞で倒れ、一部の所作だけだったものの、しっかりやり切った。その直後、近しい関係者に「平和と鎮魂の思いをありったけ込めた」と語ったという。極限の戦争体験がいわせた言葉に違いない。
現在、大阪市内で開かれている春場所(エディオンアリーナ大阪)では大鵬の3人の孫、十両王鵬(22)、幕下夢道鵬(むどうほう、20)、納谷(24)がそれぞれ、精いっぱい相撲を取っている。
3人の土俵をみながら、目を閉じてみる。歓声とともに、ウクライナの地図が浮かび上がった。(奥村展也)