あれから27年。鳴尾浜には1・17で半旗が掲げられた 巨星墜つ。水島新司先生の訃報は、まさにその言葉がピッタリくる。野球界を発展させてくれた、偉大過ぎる存在だった。影響を受けていない野球人は、いないのではないか。
ドカベン山田太郎が明訓高校1年夏に全国制覇した時、筆者はまだ小学生。毎週、必死で少年チャンピオンを熟読した。好きなキャラクターは白新高校の剛腕・不知火と、赤城山高校の左右投げ・わびすけ。その後、プロの世界に左右投げの投手が本当に現れる。驚くほどの先見の明だった。
特急電車に乗ったドカベンが、猛スピードで通過するホームの駅名を驚異の動体視力で読んでしまう、有名なエピソード。「鳴尾」「武庫川」…。阪神電車に乗って甲子園に通い続けてきたトラ番記者は、いつも思い出してニヤリとする。
時は流れ、「鳴尾」は「鳴尾・武庫川女子大前」に改名。こんな長い名前では、さすがのドカベンも読めないか…。いや、ドカベンならスラっと読んでしまうだろうな。つい先日、そんな妄想をしたばかりだった。
あぁこんな話、書きだしたら止まらない。
当番デスク・野下俊晴も猛然と会話に乗ってきた。
「野球経験のない僕でも、ドカベンは大ファンでした。特に殿馬が大好きで…。右腕をけがして包帯グルグル巻きになったんですが、夜、こっそり打撃マシンを使って守備の猛特訓。天才が隠れて努力するシーンは忘れられません」
相手がセカンドへ狙い打ちしてきても、左手のグラブで捕球して、そのまま一塁へ〝タップ〟送球。あったなぁ、そんな名場面が。誰もが自分の思い出の水島ワールドを持っている。
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