2位でフィニッシュする細谷恭平=福岡市中央区の平和台陸上競技場(撮影・村本聡) 第75回福岡国際マラソン(5日、福岡市・平和台陸上競技場発着)75回目の今回が最後となるレースで3度目のマラソンに臨んだ細谷恭平(26)=黒崎播磨=が2時間8分16秒を記録し、日本勢最高の2位に入った。日本陸連が定めた基準を満たし、2024年パリ五輪代表選考会「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」の出場権を一番乗りで獲得。ケニア出身のマイケル・ギザエ(27)=スズキ=が2時間7分51秒で初優勝した。
33キロ付近で、優勝したマイケル・ギザエ(右)と競り合う細谷恭平(左)と高久龍=福岡市(代表撮影)■前半、日本記録に迫る勢い 終わりを迎えた伝統のレースが、マラソンの奥深さを教えてくれた。口は開き、顎が上がる。細谷は倒れ込むようにしてテープを切った。日本勢最高の2位。2024年パリ五輪の第一関門を突破し、一番乗りでMGCの出場権をつかんだ。
「2番だったけど、日本人1番にもこだわりを持っていた。そこはクリアできてよかった」
3度目のマラソン。経験のない1キロ2分58秒のペースに挑み、2時間4分56秒の日本記録に迫る勢いで前半を駆け抜けた。気温14度。強い日差しが降り注ぐ。ペースメーカーが外れた30キロ以降は、我慢比べの消耗戦だった。日本勢トップを争った高久龍を36キロすぎで引き離し、単独走で粘って2位を死守した。
2位でフィニッシュした後、倒れ込んで救護される細谷恭平=福岡市中央区の平和台陸上競技場(撮影・村本聡)■脱水症状、担架で運ばれ 社会人4年目の26歳。今年2月のびわ湖毎日で日本歴代6位の2時間6分35秒をマークした。「がむしゃらに前を追ってというスタイル」。中央学院大時代に箱根駅伝の5区で2年続けて区間3位に入ったときも、根気強く山を登り続けた。
ゴール後に担架で運ばれ、医務室で点滴を施されて脱水症状の応急処置を受けた。初マラソンだった昨年のびわ湖毎日は風雨に泣かされ、2時間28分47秒で120位。気象条件や展開によって、走り方は変わる。「マラソンは深いなと思う」。位置取りやスピード持久力が今後の課題だ。
この大会の創設は1947年。五輪を夢見て33人が集結し、「日本マラソンの父」とされる金栗四三の号令で走り出した。「歴史ある大会がなくなるのは名残惜しい。ひたすら日の丸を背負うことを意識して取り組んでいきたい。(先が)少しずつ見えてきた」と細谷。数々の名ランナーが駆け抜けた福岡が、若者の未来を明るく照らした。(鈴木智紘)
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