一世を風靡(ふうび)した細木さん。本紙の大型インタビュー企画「真実の口」に登場したこともあった=2005年撮影 「六星占術」なとで知られる占い師、細木数子(ほそき・かずこ)さんが8日に呼吸不全のため東京都内の自宅で死去したことが10日、分かった。83歳だった。2000年代には「地獄に落ちるわよ!」といった歯に衣着せぬ発言で人気を集め、「視聴率の女王」と呼ばれるほど多くのテレビ番組で活躍。08年3月には本業に専念することを理由に表舞台から退いていた。
「ズバリ言うわよ!!」。ドスの効いた声で多くの人々を占ってきたカリスマが、ひっそりと星になった。
「悲しい出来事がありました。母・細木数子が永眠しました」
この日、細木さんの娘で占い師のかおりさんが、インスタグラムにツーショット写真を添えて報告。数日前には故人が「鰻が食べたい」と言っておいしそうに食べていたと明かし、「いつかは訪れることだと分かっているけど、いざ直面すると想像以上に悲しい」と突然の別れを惜しんだ。
細木数子事務所によると、細木さんは7日夜に39度の発熱。その後も回復せず、かおりさんとその夫が見守る中、眠るように息を引き取った。最後の言葉は「大丈夫」だったという。通夜・告別式は近親者・関係者のみで執り行い、お別れ会を14日午後6時から東京・南青山の梅窓院で行う。
細木さんは17歳でコーヒー店を経営し、20歳で銀座にクラブを開くなど実業家として活躍。易学などを学んで編み出した「六星占術」に関する著作を1980年代に出版し、一躍有名に。運気が著しく低下する時期を表す「大殺界」という言葉もはやった。
2000年代にはテレビでもブレーク。TBS系「ズバリ言うわよ!」やフジテレビ系「幸せって何だっけ」などのレギュラーを持ち、「視聴率の女王」と呼ばれた。
発言によりタレントが芸名を変えるなど強い影響力を持ち、大相撲の元横綱朝青龍との交友でも知られた。だが、08年3月に「本業に専念したい」と全てのレギュラー番組を降板。その後はほぼ姿を見せず、16年に妹の長女であるかおりさんと養子縁組し、後継者に指名。19年に引退した。
かおりさんは晩年の細木さんについて「自宅で気ままに過ごしひ孫と笑顔で楽しそうに遊ぶ姿は、あの頃とはまるで違う優しい表情でした」と述懐。故人はかねて「病院で逝くのは絶対に嫌だっ!」と話していたといい、「その通り大病することなく自宅で過ごせたし、希望通り家族が見守るなか自宅で最期を迎えたことは良かったのかな」と安堵。「ばあば、お疲れ様でした。そしてありがとうございました」と感謝の言葉で結んだ。
◆フジ系「幸せって何だっけ」などで共演したお笑いトリオ・ネプチューン 「人としての心の持ち方、そして作法、神社、お墓参りの礼義、正しい食生活、数え切れないほどご指導いただきました。本番のカメラが止まっているときの素顔は優しく、朗らかでとてもチャーミングな方でした」
◆細木さんの勧めで一時「モンキッキー」に改名していたタレント、おさる(53) 「改名して一発目の仕事が『山川恵里佳とドライブ』という企画でした。ロケ中、終始改名の話で盛り上がり、ふたりはそのまま結婚…結婚願望が無かったふたりが結婚したのは先生のおかげだと言っても過言ではないです」(ブログより)
★訃報に元朝青龍「日本の母親」 元横綱朝青龍のドルゴルスレン・ダグワドルジ氏は訃報を受けて、ツイッターで故人を悼んだ。
細木さんとは現役時代から公私ともに交流があり、化粧まわしを贈られたことも。ツイッターでは「細木数子先生にお手合わします。素晴らしい人に出会い、正しい行き方に学ぶことに 私の日本の母親」(原文ママ)とつづり、手を合わせた絵文字や、涙を流す顔文字を添えて悲しみを表した。
★自宅前には報道陣が集結 東京都内にある細木さんの自宅前には10日夜、報道陣も集結した。近隣の住民は「最後に車いす姿の細木さんを見たのは2年ぐらい前。その後はご家族の方も『ずっと京都の家で過ごしています』と話していた」と説明。細木さんは東京のほかに京都府内にも別宅があり、晩年は往復しながら過ごしていたようだ。
■細木 数子(ほそき・かずこ) 1938(昭和13)年4月4日生まれ。東京都出身。8人きょうだいの四女。高校を中退後、コーヒー店やクラブを経営。21歳で静岡の富豪と結婚するもわずか3カ月で離婚。82年から「六星占術」に関する著作を発表。83年、45歳で陽明学者の安岡正篤氏と再婚したが、同年死別。著書は100冊以上に上り、売り上げは総計4300万部以上。「占いの本を世界一売った人」としてギネスブックに掲載された。
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