「Wの悲劇」や「時雨の記」などで知られる映画監督の澤井信一郎(さわい・しんいちろう、本名・信治=しんじ)さんが3日午後7時3分、多臓器不全のため東京都内の病院で死去した。83歳だった。故人の初監督作品「野菊の墓」で映画デビューした歌手、松田聖子(59)は「あの時の監督の優しい笑顔が忘れられません」と追悼。女優、後藤久美子(47)らも自身を育ててくれた〝アイドル映画の巨匠〟に感謝した。
女性アイドルを主役に抜てきし、大人の女優に開眼させた娯楽映画の名手が天に召された。
澤井さんがかつて所属していた東映が発表。葬儀・告別式は故人の遺志により近親者のみの密葬で執り行う。喪主の妻・郷子さんは書面で「しばらく闘病生活を続けており、もう一度映画の現場に立つことを夢見ておりましたが、叶うことなく旅立ちました」と無念の思いを吐露。「澤井の監督した作品をもう一度ご覧いただき、偲んでいただくのが何よりの供養」とコメントした。
静岡・浜松市出身の澤井さんは、東京外語大ドイツ語学科卒業後、1961年に助監督として東映に入社。マキノ雅弘監督に師事し、「トラック野郎」シリーズでは多くの脚本を手掛けた。
監督昇進を断り続けた話は有名で、助監督20年の職人肌だったが、81年に公開された聖子の映画デビュー作「野菊の墓」で初メガホン。瞬く間にスター監督の仲間入りを果たし、薬師丸ひろ子(57)が主演した「Wの悲劇」(84年)、原田知世(53)の代表作「早春物語」(85年)で日本アカデミー賞最優秀監督賞を受賞した。
一方、85年には劇中劇を取り入れた「Wの悲劇」が米作家、アーウィン・ショーの短編小説「愁いを含んで、ほのかに甘く」の翻訳者、常磐新平さんから「アイデアを無断借用している」と指摘された。釈明会見では「心外です。騒いだのはシナリオ作りのプロセスを知らない連中だよ」と毅然と言い切った。
監督10作目の「時雨の記」(98年)では2大スターの吉永小百合(76)と渡哲也さん(享年78)で大人の恋を表現。2006年に紫綬褒章を受章後、翌07年には俳優、反町隆史(47)主演作「蒼き狼 地果て海尽きるまで」でモンゴルの英雄、チンギス・ハーンを描き、歴史大作でも手腕を発揮した。
澤井さんの訃報を聞いた聖子は書面でコメント。伊藤左千夫の名小説「野菊の墓」のヒロイン、民子を19歳で演じた歌姫は「慣れない私にとてもあたたかくご指導いただきました」と感謝。「撮影のとき、山野を一日中駆け回って疲れた私を、いつも励ましてくださいました。あのときの監督の優しい笑顔が忘れられません」と大切な思い出を振り返った。
◆映画「野菊の墓」に主演した松田聖子(59) 「澤井信一郎監督のご逝去を悼み、慎んで お悔やみを申しあげます。私の初めての映画『野菊の墓』の撮影では、慣れない私にとてもあたたかくご指導いただきました。撮影の時、山野を一日中駆け回って疲れた私を、いつも励ましてくださいました。あの時の監督の優しい笑顔が忘れられません。本当にありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします」
◆映画「Wの悲劇」に出演した三田佳子(79) 「ご逝去の報に接し、寂しい思いで一杯です。『澤井ちゃん』『三田ちゃん』と呼び合い、切磋琢磨した若い日々を思い出します。澤井さんの代表作映画『Wの悲劇』でご一緒し、ともに戦うことが出来たことは、私にとっても大きな誇りです。もう一度、お会いしたかった。ご冥福を心よりお祈りいたします」
◆映画「わが愛の譜 滝廉太郎物語」に出演した風間トオル(59) 「澤井監督とは映画『わが愛の譜 滝廉太郎物語』で御一緒させて頂きました。ピアノを弾いた事のない私に吹替ではなく、実際に弾いて欲しいと、一年近くレッスンをし、いつも、にこやかに、ある時は厳しく見守って頂きました。ドイツロケの時、目を瞑ってピアノを聴いていた姿を思い出します。天国でも芸術的な作品を作って下さい。ご冥福をお祈りいたします」
◆映画「ラブ・ストーリーを君に」に主演した女優、後藤久美子(47) 「映画デビュー作でお世話になりました、そのときの澤井監督の優しい人柄が思い出されます。温かく、厳しく、そして映画作りの魅力、作品に対する情熱を教えて頂きました。澤井監督の作品で映画デビューさせていただいた事をとても幸運に思うのと、感謝の気持ちでいっぱいです」
◆2007年の映画「蒼き狼 地果て海尽きるまで」に主演した俳優、反町隆史(47) 「4カ月にわたるモンゴルでの撮影のことは忘れられません。過酷な撮影の中で皆を鼓舞し、支えてくださった澤井監督の姿が強く心に残っています」
澤井 信一郎(さわい・しんいちろう)
1938(昭和13)年8月16日、静岡・浜松市生まれ。61年に東映に入社。高倉健さんの主演映画「昭和残侠伝 死んで貰います」や「動乱」などの助監督をへて、81年の「野菊の墓」で監督デビュー。代表作は「めぞん一刻」「日本一短い『母』への手紙」など。テレビドラマでは80年の「大激闘マッドポリス'80」で助監督を務め、82年の「Gメン'75」の脚本を手掛けた。84年の「宇宙刑事シャイダー」の監督としても知られる。
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