智弁学園は先発登板した小畠が四回に逆転3ランを放ち、投げても1失点で完投した 智弁和歌山は、中西が10奪三振で1失点完投した(撮影・林俊志)高嶋氏は名誉監督を務める智弁和歌山の戦況を甲子園球場で見つめた第103回全国高校野球選手権大会第14日(28日、甲子園)2年ぶり夏の甲子園は決勝史上初の「智弁対決」に-。第103回全国高校野球選手権大会は準決勝が行われ、智弁学園(奈良)と智弁和歌山が決勝に進んだ。智弁学園は小畠一心投手(3年)が四回に先制の3点本塁打を放ち、投げても3安打完投のワンマンショーで、京都国際を3―1で下した。智弁学園は創部57年目で初の決勝進出。兄弟校による29日の頂上決戦は午後2時プレーボールの予定。
決勝初となる「智弁対決」。獅子奮迅の活躍でチームを初の決勝進出に導いた智弁学園・小畠は「ユニホームが似ているので(見ている人は)どっちがどっちか分からないと思いますが、奈良が本校なんで負けるわけにはいかない」と力を込めた。
0-0の四回2死一、二塁。「体に向かってきた球を振ったら当たりました。打撃練習は大会前にちょこっとやっただけなのに…」と、甘く入ったスライダーを左翼席に運んだ。高校通算2本目の本塁打だった。
自らたたき出した3点を背に、本職では3安打1失点。日本航空との3回戦に続く今大会2度目の完投勝利を挙げた。背番号10ながら、エース西村をしのぐ働きぶり。本塁打は右翼から左翼へ吹き抜ける浜風に乗せたが、マウンドでは逆に浜風で押し戻されることを利用し、高めの直球で中堅から右翼方向にフライを打ち上げさせた。
兄弟校による頂上決戦。両校野球部のナインが口をそろえて、高校時代の一番の思い出に挙げるのが修学旅行だ。昨年12月には2年生(現3年生)が合同で四国・山陽地方に3泊4日で出掛け、消灯時間まで野球談議に花を咲かせた。この日に3安打を放った森田は智弁和歌山・高嶋仁名誉監督の孫である奨哉と修学旅行をきっかけに親友になった。プロ注目スラッガー、前川も智弁和歌山の4番・徳丸と交流を深め、本塁打を放った横浜との2回戦後には「ナイスバッティング!!」と祝福の電話がかかってきたという。ただ、雌雄を決する大一番となれば、〝昨日の友は今日の敵〟だ。前川が「お互い仲は良いけど、最後は勝負」と話せば、捕手・植垣は「本気で潰しにいく」と宣戦布告した。
創部は智弁学園が1965年で、智弁和歌山が79年。ただ、94年選抜大会で先に全国制覇を果たし、夏の甲子園でも97、2000年と2回の優勝経験を誇るのは智弁和歌山の方だった。智弁学園の主将兼4番として出場した95年の4強を超えた小坂監督。和歌山県紀の川市出身で「(高校時代に)和歌山に行きたかったけど、奈良のお世話になった。だから、自分にも意地とプライドがある。成績も和歌山の方が上なので肩身が狭い時期もあったが、明日(29日)は絶対に勝ちたいと思う」。もう〝愚兄賢弟〟とは言わせない。(東山貴実)
■智弁学園(奈良)と智弁和歌山
★ユニホーム 同じに見えるが、メーカーが智弁学園はアシックス社製、智弁和歌山がSSK社製のため生地や色がわずかに異なる。両校ともアイボリーで、智弁学園の方が色が濃く、智弁和歌山が白に近い。違いがあるのは左袖と帽子。左袖には経営母体、弁天宗のマークであるキキョウが刺繍(ししゅう)され、その下にそれぞれ「奈良」、「和歌山」と県名が入る。帽子は智弁学園が角型で、智弁和歌山が丸形。
★応援 例年であれば、ともにアルプススタンドに『C』の人文字が浮かぶ。チャンス時は高校野球ファンの間で魔曲と呼ばれる「ジョックロック」が流れる。高校野球で好機に演奏されることが多い「アフリカンシンフォニー」は、〝智弁〟の両校では一回の先頭打者から流れることが定番。
★公式戦での対戦成績 2勝2敗の五分。夏の甲子園大会では2002年の3回戦で激突。智弁和歌山が7-3で勝ち、大会で準優勝した。直近では19年の秋季近畿大会で対戦し、智弁学園が17-13で打撃戦を制した。
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