2位に入ったことを知った富田は、顔をくしゃくしゃにして喜んだ
銀メダルを手に笑顔の富田(撮影・桐原正道)
折り返しではタッパーの合図を受けた

東京パラリンピック第3日・競泳(26日、東京アクアティクスセンター)400メートル自由形(視覚障害S11)で、大会初出場の富田宇宙(うちゅう、32)=日体大大学院=が4分31秒69のアジア新記録で銀メダルを獲得した。終盤は持ち味の粘り強さを発揮し、2019年世界選手権2位の得意種目で躍動。競技での結果とともに、障害者スポーツの普及や発展、多様性の社会実現を目指して活動するブラインドスイマーが、自国開催のパラリンピックで体現した。

鍛え抜かれた体で泳ぎ切った。会場の東京アクアティクスセンターは無観客ながら、57年ぶりの自国開催。周囲の期待と応援を背負って挑んだ。初出場のパラで銀メダル。肩で息をする富田が、感慨深げに喜んだ。

「信じられないくらい、うれしい気持ち。僕の真骨頂だと思っている最後の粘り、持久力を出し尽くすことができた」

暗闇の中で水をかき、脚を動かし続けることを意識した。中盤以降は2位争い。直前に34歳の鈴木孝幸が男子100メートル自由形で金メダルを獲得し「絶対に続く」と誓った。2019年世界選手権王者のロヒール・ドルスマン(22)=オランダ=には3秒ほど及ばなかったが、同大会2位に入った得意種目で輝いた。

「障害をおって、思い描いていた人生とは全く違う道を歩むことになった。皆さんに多様性の価値や障害者の理解につながる一つのパフォーマンスとして、メダルを取ることを見せることができた。障害をおった意味が、この瞬間にあったのかなと実感した」

もともと視力はあり、3歳から水泳に取り組んだ。だが熊本・済々黌高時から進行性の目の病気で視力が低下。日大卒業後、障害が進む自分にできるスポーツを見つけた。再びプールに縁ができた。17年には視覚障害の中で最も重い全盲クラスのS11に変更となった。葛藤がある中でも、可能性を追い求めた。

五輪の有力選手と研さんを積み、一日に約2万メートルを泳ぐこともあった。日体大大学院ではパラのあり方も模索。「障害者も健常者も関係なく、競技に取り組めることが理想。一つ一つの壁を取り除いてパイオニアになって活動することが重要」と語る。コロナ禍にあっては、熊本の実家の庭にプールを設置。逆境に立たされる中でも工夫を凝らし、パラ選手として発信を続けてきた。

「選手として、技術や水泳に一生懸命向き合ってきたと自信を持っていえる。支えてもらった皆さんからメダルというプレゼントを頂いた気持ちでいっぱいです」

かつては「宇宙」の名のように、宇宙飛行士になることが夢だった。24日の開会式ではパラリンピックの旗を運ぶベアラーも務めた富田が、世界中に雄姿を届けた。(石井文敏)

富田 宇宙(とみた・うちゅう)

 1989(平成元)年2月28日生まれ、32歳。熊本市出身。3歳で水泳を始める。西原中から熊本・済々黌高へ。2年生で徐々に視野が狭くなる網膜色素変性症が判明。日大では競技ダンス部に所属した。卒業後の2012年にパラ水泳へ。17年、S13からS11にクラス変更。19年世界パラ選手権は400メートル自由形と100メートルバタフライで2位。座右の銘は「一日一生」。好物はカキ、すじこ。168センチ、62キロ。

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