男子フリー65キロ級決勝 アゼルバイジャンのアリエフと対戦する乙黒拓斗=7日、幕張メッセ(撮影・納冨康)

東京五輪第16日・レスリング(7日、幕張メッセAホール)乙黒(おとぐろ)拓斗(22)=自衛隊=が、男子フリースタイル65キロ級で金メダルを獲得した。乙黒拓を山梨学院大時代など合計6年間を指導した1976年モントリオール五輪男子52キロ級金メダリストの高田裕司氏(67)=同大レスリング部総監督=が、教え子を祝福する手記をサンケイスポーツに寄せた。

アゼルバイジャンのアリエフに勝利し、金メダルを獲得した乙黒拓斗=7日、幕張メッセ(撮影・納冨康)

2018年の世界選手権王者として東京五輪金メダル候補に挙がるプレッシャーの中、頂点に立った。19年の世界選手権はけがも重なり、5位に沈んだ。ただ拓斗は金メダルを目指す選手が持つべき、「自分との闘い」に挑む覚悟があった。味わった挫折を糧に、はい上がった男は強かった。

拓斗のレスリングは異次元だ。片足タックルとカウンターは素早く誰もまねできない。片足タックルで仕掛けられるし、相手が狙ってくれば一瞬の隙を見逃さずにカウンター技で回り込める。手足が長いのは実に効果的。投げられたときも猫みたいに回転するのは天性で、教えて身につくものではない。

練習量が、圧倒的な技術と絶対的な自信を生んだ。これまで私は約400人の学生を指導してきたが、山梨学院大時代、拓斗の練習量は群を抜いた。一切の妥協がないし、授業の合間には一人で隠れてトレーニング。マット上ではタックル後の展開も考えていた。一般学生は通常の練習時間で満足するところだが、連係が一つの技だと理解して追い込んだ。

3年時に出場した19年の世界選手権は闘志を前面に出すあまり冷静さを失い、精神面が乱れた。2連覇を狙ったが5位。1970年代に五輪、世界選手権で計5度頂点に立った私だが、多くの挫折も味わった。挫折を知らない人間は強くなれない。今思えば、拓斗は早めに悔しさを味わったことが良かった。自問自答し、豪快さを軸に確実な試合運びを学んで幅が広がった。けがも多いが、自分の体を知って心技体で進化を遂げた。

出会いは拓斗が石和南小5年の時。父・正也さんの熱心さで中学1年の兄・圭祐(東京五輪男子フリースタイル74キロ級代表)と練習参加を受け入れた。強くなりたいということで中学、高校は日本オリンピック委員会(JOC)エリートアカデミーを勧めた。東京・帝京高卒業後の進路は多方面からオファーがあったというが、戻ってきてくれてうれしかった。寮生活でも頻繁に母の千恵さんが料理を運んで食べさせていた。両親の支えが大きかった。

私が76年モントリオール五輪を制したのは拓斗と同じ22歳だった。4年後の80年モスクワ五輪は日本のボイコットが理由で参加できず、2連覇の夢は幻と消えた。拓斗は3年後の24年パリ五輪で2連覇できるチャンスがある。期待しているぞ!!(山梨学院大レスリング部総監督)

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