稲葉監督は菊池涼に金メダルをかけられ、飛びきりの笑顔を見せた(撮影・松永渉平) 東京五輪第16日・野球 決勝、日本2-0米国(7日、横浜スタジアム)日本を金メダルへ導いた稲葉篤紀監督(49)の父・昌弘さん(76)が本紙の取材に応じ、心境を明かした。「気が弱い子」だったいう少年時代から、父の教えと尊敬できる指導者との出会いで成長。2018年に他界した母・貞子さんへささげるメダルとなった。(取材構成・長友孝輔)
第一に人のことを思う-。稲葉監督は父の背中を見て、それを学んだに違いなかった。昌弘さんが最初に口にしたのも「感謝」の言葉だった。
「選手の皆さんが安全で無事に終えることができて良かった。その思いが一番にあります。ずっと(金メダルを)祈っておりましたので、本当にうれしい。周りの皆さまのおかげです」
東京五輪に臨む息子には優しく語りかけた。
「自分の信念というか、思ったことを通せばいいんじゃないか。どんな結果になっても、いつも応援しているよ。体にだけは気を付けて」
強く優しい、今の姿は生まれつき備わっていたものではない。自身も明かしたことがあるが、篤紀少年は小学6年時、いじめに遭った。修学旅行用に購入したナイキのジャージーを、なぜかクラスメートが着て記念撮影していた。この写真を母・貞子さんが不審に思い、昌弘さんも動いた。
「そこの子供の家に直接伺って、本人に直接会って。親も一緒にね。いろんなお話をして、そういうことの一つだったんだけど-」
篤紀少年が車中で待つなか、昌弘さんは「うちの子はプロ野球選手になるから、放っておいてほしい」と言い切った。
「長男で、その家の大黒柱。しっかりしてもらわないと。気が弱い子だったので」
いじめの幕は引いた。同時に、昌弘さんはたくましくなってほしいと、中学で野球のクラブチームを選ぶときにも、野球以外の面を重視した。
「よそのチームとは違って、非常に精神面を重んじるようなところでね。相手の気持ちが分かるようにはできるかなという、ちょっと変わったチームだった。そういうところから少しずつ人間的には成長してくれたのかなと思います」
今五輪を、昌弘さんは愛知県内の自宅でテレビ観戦。母・貞子さんは2018年に他界し、隣にはいない。だが昌弘さんは、貞子さんが見守ってくれたと感じている。
「おやじなんて何もしていないし、育ててもいない。やっぱり一番の子供の理解者は母親だったと思います。天国から応援していると思う」
強さ、たくましさ、信念を一つずつ手にして。周囲の人々に支えられ、見守られて。心優しい少年だった男はこの夏、世界一の監督になった。