家族の絆が村上を支えた。左から宗隆、長男・友幸さん、母・文代さん、三男・慶太さん、父・公弥さん(2019年撮影、公弥さん提供)

東京五輪第16日・野球 決勝、日本2-0米国(7日、横浜スタジアム)激闘を終えた日本代表・村上宗隆内野手(21)=ヤクルト=の父・公弥さん(48)が本紙に独占手記を寄せ、最年少で戦い抜いた息子への思いをつづった。

ムネ、おめでとう。本当にお疲れさま。三兄弟の次男のムネは、幼少期は本当に普通の子供でした。3312グラムで誕生。5歳のとき、2歳上の兄・友幸と一緒に地域のスポーツクラブに行ったことが野球を始めたきっかけです。

足が速くてサッカーもうまかったのですが、私自身が高校で右肩を手術して野球を辞めてしまったので、半ば無理やりやらせていたところもありました。それでも、自宅では物心がつく前から軟らかいボールをプラスチック製のバットで打ったりして遊んでいたことを記憶しています。

プレーヤーとしての成長を感じたのは中学生になってからです。中2の夏から成長期を迎えて体も大きくなり、打球を飛ばすようになりました。所属する熊本東リトルシニアが使用していた益城町のグラウンドではムネの打球が80メートルほどある右翼の防球ネットを越えて、民家の屋根に直撃していました。100メートル近くは飛んでいたと思います。ソフトバンク・吉本亮3軍打撃コーチの父でもある吉本幸夫監督からは「左方向に打て」と指示されていました。すると、左方向の打球もだんだんと飛距離が伸びていきました。その意識が今でも逆方向に長打が打てる要因だと思います。

「三振も内野ゴロもアウトはアウト。どうせアウトになるなら目いっぱい振りなさい」。ムネによく言っていた言葉です。三振を怖がっては駄目だ。野球は失敗が多いスポーツ。結果は気にせず、ファーストストライクからフルスイングするよう指導していました。

自宅では常にバットを握っていました。庭で窓に反射する自分と向き合いながら毎日素振りをしていました。「10本でもいいから自分が納得するまで振りなさい」と話していましたが、納得いかなければ延々と振っていました。リビングや自室にもバットを置いて、気づくことがあったら構えを確認したり、スイングの軌道を確認したり。学生時代から自分で考えて取り組んでいたと思います。

大人になったなと思ったのは最近のことです。オフに2人で晩酌していると「兄弟3人とも高校は私学で野球をやらせてもらって感謝している。好きな野球を不自由なくさせてもらったことは、今になってすごくありがたいことだと思っているよ」と感謝の言葉をもらいました。親のこと、兄弟のことをいつも気にかけてくれます。豪雨のとき、地震があったときは必ず「大丈夫?」と連絡がきます。

2019年の私の誕生日には本塁打を打ってホームランボールを送ってくれました。今年は母ちゃんの誕生日に本塁打を打って「誕生日おめでとう」と記したホームランボールが送られてきました。小学生の頃から日本代表でプレーすることを夢見ていたことは知っています。日の丸を背負って世界と戦う息子は、本当に誇りです。

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