鉄棒で着地を決めた橋本は、金メダルを確信したように拳を突き上げた (撮影・納冨康)
金メダルを手に笑みを浮かべる橋本。19歳のニューヒーローが誕生した

東京五輪第6日・体操(28日、有明体操競技場)男子個人総合決勝で、19歳の橋本大輝(順大)が6種目合計88・465点で金メダルを獲得し、同種目で五輪史上最年少王者に輝いた。20歳200日で1992年バルセロナ五輪を制したビタリー・シェルボ(旧ソ連、ベラルーシ)の記録を塗り替えた。2012年ロンドン、16年リオデジャネイロ両五輪を2連覇した内村航平(32)=ジョイカル=に続き、日本勢が3大会連続で制覇。体操で通算100個目のメダルとなった。

左手に握りしめた日の丸を天高く掲げた。五輪史上最年少の個人総合王者だ。さらに体操ニッポン通算100個目のメダル。感情を抑えられるはずがない。橋本の雄たけびが無観客の場内に響き渡った。

「一番うれしい瞬間は、言葉では言い表せないんだな…。本当に人生で一番うれしいです」

最初の床運動でG難度の「リ・ジョンソン」を決めて好スタート。続くあん馬は雄大な開脚旋回で15点台に乗せた。波に乗ったように見えたが、3種目目のつり輪でつまずいた。予定したDスコア(演技価値点)を取り切れず、この種目12位タイの13・533点。跳馬は着地でラインオーバーし、思わず頭を抱えた。

悪くなりかけた流れを5種目目の平行棒で断ち切る。15・300点をたたき出し、トップと0・467点差で最終種目の鉄棒へ。最終演技者には、しびれる展開でも冷静でいれらるずぶとさがあった。手離し技を次々と決め、最高の14・933点。華麗に逆転を飾り、拍手をあおった。

今大会までに個人総合で頂点に立った日本勢は遠藤幸雄、加藤沢男、具志堅幸司、内村航平の4人。あの内村でも19歳で初出場した2008年北京五輪は銀メダルだった。「僕の前に99個(のメダル)が引き継がれている。100個目も史上最年少も僕でいいのかな」。五輪史にも名を刻んだニューヒーローには戸惑いもあった。

よく見て、よく聞く。これが原点だ。競技を始めたのは6歳のとき。小中学生の頃に通った千葉県の佐原ジュニアクラブは、廃校の小学校を練習場とする。着地の安全を守るための「ピット」と呼ばれる緩衝材を詰めた設備はなかった。

最終種目の鉄棒で着地を決める橋本大輝の連続合成写真(右から左へ)=有明体操競技場

限られた環境下で指導者からたたきこまれたのは、技術よりも上達のための手段だ。「誰かへのアドバイスを盗み聞きしていた」。同じクラブに通った2人の兄の技を模倣し、その背中を追い越そうと猛練習した。

テレビ画面に映るトップ選手の演技も手本とした。大技の使い手よりも、技が美しい選手に目が留まった。2012年ロンドン、16年リオデジャネイロ五輪代表の田中佑典の平行棒に魅了されてきた。

一直線に伸びた倒立、ピタリと閉じたつま先。「静かにやっている感じなんです。『がしゃん』じゃなくて『すー』って」。精密機械のように演じるのが理想という。

ただ、その理想像とはかけ離れた自分がいた。「夢のまた夢で…」-。

リオ五輪が開かれた中学3年時は、栄光の未来予想図などこれっぽっちも描けなかった。右足首の骨折を押して臨んだその年の全国中学校体育大会は、2種目しか演技できず最下位の107位。無名に近かった。

美しさは一朝一夕で身につかない。千葉・市船橋高に進むと、バレリーナのようなつま先立ちを繰り返し、意識づけを徹底。朝5時半に起床し、成田市の自宅から通った。午後10時半に帰宅する練習漬けの毎日で、電車に揺られる1時間半が貴重な睡眠時間だった。

「大輝は小さい頃からコツコツやっていました。それが良かったから、今のきれいな体操ができている。本当に徐々に徐々に技が増えていくんです」。東海大大学院まで進んで体操を続けた長兄の拓弥さん(24)は、努力家の弟に一目置いている。

体操ニッポンで継承されてきた美しさ。第一人者の内村も強いこだわりを持つ。エースの系譜を受け継ぐ才器は、8月3日の種目別鉄棒決勝でも頂点を狙う。「自信はある。金メダルを取って帰りたい」。体操王国の新たな顔になる。(鈴木智紘)

この記事をシェアする