侍ジャパン、日本代表・田中将大投手

野球日本代表「侍ジャパン」が、劇的なサヨナラ勝利で東京五輪の初戦を飾った。

指揮を執る稲葉監督が投手陣のリーダーに指名したのは、チームの最年長世代のひとりで日米で実績のある田中将(楽天)だ。24選手のうち、2008年の北京五輪を経験しているのはマー君だけ。8年ぶりに代表復帰を果たした右腕は、国際大会では初めて背番号「18」の侍ユニホームに袖を通した。

印象深い現場に立ち会えたことを覚えている。2009年3月24日、第2回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で大会2連覇を果たした日本代表の一夜明け会見。ロサンゼルスのホテルの一室に原監督ら首脳陣、全選手が集結した。前列左端の原監督から順に、全員が優勝の喜びを簡潔に述べていく。当時20歳で、後列の右端に座っていた田中将は最後の発言者となった。

「チーム最年少として参加させていただき、素晴らしい先輩に囲まれながら、いい経験ができたと思います。この優勝メンバーの中に入れたことをうれしく思います」

殊勝なコメントを述べた田中将だったが、最後に衝撃的に締めたのだ。

「次は18番をつけられるように頑張ります」

楽天では背番号18の田中将だがWBCでは15。18番は2大会連続でMVPに輝いた松坂(当時レッドソックス)だった。今大会どころか2000年シドニー五輪、04年アテネ五輪、06年のWBCでも松坂は18。日本の絶対的エースへ対し、田中将から驚きの〝下剋上宣言〟となったのだ。

会見場はざわつき、田中将の隣で、発言の〝黒幕〟と思われるダルビッシュ(日本ハム)は大笑い。松坂も笑い、マー君は恥ずかしそうに下を向いた。

会見部屋を出る際、田中将は「ダルさんに言わされたんですよ!」と必死に弁解。挑戦状をたたきつけられた松坂は「『やらねえよ!』って言ってやりました。前から言ってきていたんです」とうれしそうだった。大会期間中、食事の席などで冗談半分で「ください」「まだ早い」といったやりとりがあったのだという。

田中将は13年のWBCでも17(18は杉内)で、翌年からヤンキースに移籍したために代表でプレーする機会には恵まれなかった。そして、今-。8年ぶりに復帰した代表では中心選手として「18」を任され、松坂は今季限りでの引退を表明した。エースナンバーを受け継いだ田中将が、思いを込めて右腕を振る。(湯浅大)

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