■7月20日 どんな手を使っても最後は勝てばいい。大相撲名古屋場所の終わりの2日間は、白鵬の〝勝負哲学〟を思い知らされた。千秋楽は立ち合いの右肘打ちから離れて左右の張り手を見舞い照ノ富士をカッとさせ、まんまと術中に陥れた。史上6例目の全勝対決の重みはどこへやら。けんかさながらで後味は悪すぎた。
14日目の正代戦の立ち合いもひどかった。土俵際まで下がって仕切り、ふわりと立ってのそのそ前に出る奇策。小兵や弱い方が相手をかき回す立ち合いを天下の横綱が…。面食らった正代だけでなく観客もなめられた。「俺は第一人者。何をやっても許される」のおごりが露骨に表れていた。
亡父がレスリングのモンゴル代表として1964年東京五輪に出たことで「東京五輪を現役で迎える」とかねて話していた。それにしては勝負への執着心が異常だった。引退後の親方人生に大きくかかわる「一代年寄」は、相撲協会が諮問した有識者会議が廃止を提言した。その〝腹いせ〟のつもりだったのか。
白鵬が待ちわびた東京五輪は、バブル方式とやらの感染対策もほころびだらけのまま3日後に開幕する。18日には菅首相や小池都知事ら国民に自粛を求める人たちが集まってIOCバッハ会長の歓迎会が開かれ、丸川五輪相は着物姿で出席した。一時の流行語「KY」そのもの。羅針盤が壊れたままの五輪。最後まで航海できるのか心配は募るばかりだ。
45回目の優勝を全勝で飾った白鵬も、いずれ親方になり部屋を持つだろう。さらに「理事長になって…」と野心を燃やすのは勝手だが、あの見苦しさで国技の羅針盤は守れるのか。2日間の相撲はそんな先の懸念まで残したのではないか。(今村忠)