聖火リレー走行後の記念写真撮影で胸から円谷幸吉さんの写真を取り出し円谷さんの兄・喜久造さんに見せる君原健二さん(左)=27日、福島県須賀川市(撮影・芹沢伸生) 幸吉君、一緒に走ろう-。東京五輪の聖火リレー3日目が行われた27日、福島県須賀川市では1968年メキシコ五輪・男子マラソン銀メダルの君原健二さん(80)が最終走者を務めた。同市は64年東京五輪の男子マラソン銅メダリストで、ともに切磋琢磨してきた円谷幸吉さん(享年27)の故郷。沿道には2人の関係性を知る多くの市民が駆け付けた。
君原さんは幸吉さんの写真をユニホームの下に忍ばせ、東京五輪で幸吉さんが履いた白いシューズも複製して臨んだ。幸吉さんの8歳上の兄、喜久造さん(89)も、そんな君原さんの走りを万感の思いで見つめた。
「歩けないので、椅子に座って見ました。感動しました」。足腰に痛みを抱えるが、半月前から毎日体温と血圧を測り、この日に備えてきた。君原さんの変わらぬ友情がうれしかった。
君原さんと幸吉さんは高校時代から同学年のライバルだった。東京五輪で国民的英雄となった幸吉さんは、続くメキシコ五輪を目前にした68年1月、「もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」とつづられた遺書を残して自死。君原さんは「幸吉君のために」と誓い、メキシコ大会で銀メダルを獲得した。
前日26日、喜久造さんは、須賀川市に到着した君原さんと再会。「地元でのリレー。幸吉君が走れない分まで私が走ります」という言葉で、互いに涙にくれた。喜久造さんは「もう80歳。これからは自分の時間を楽しんでほしい」と気遣った。
コロナ禍に揺れる2度目の東京大会だが、喜久造さんは「幸吉が生きていれば、当たって砕けろの思いで奔走しているはず。目標に競技している若者たちもいる。小さな規模でもいいから、できる範囲で開いた方がいいと希望しています。人生は山あり谷あり。困難にくじけてはいけない」と話す。
長年勤めた県陸連の競技役員も3年前に辞任。いまは日課の庭の草むしりを椅子に座って続けながら、幸吉さんと五輪の行方を気にかけている。(丸山汎)