東日本大震災は11日で発生から10年を迎える。ラグビー、トップチャレンジリーグの釜石シーウェイブスは、津波による甚大な被害を受けた岩手・釜石市が本拠地。共同主将を務めるWTB小野航大(29)が9日までに本紙のインタビューに応じ、鉄と魚とラグビーの街への思いを語った。自身も津波が押し寄せた福島・いわき市出身。ラグビーで釜石を、東北を元気づけることを心に誓う。(取材構成・阿部慎)
■シーウェイブス小野、復興感じる
釜石駅から北へ8キロ。三陸海岸沿いにある津波で全壊した小中学校の跡地に建設された釜石鵜住居(うのすまい)復興スタジアムが、市のシンボルだ。2019年にはラグビーW杯日本大会で1試合を開催。14年にシーウェイブスに加入した主将の小野は、復興を肌で感じてきた。
「道路の整備だったり、建物が新しくなったり…。僕が来たときは沿岸にがれきもあった。きれいになりましたよね」
自身は福島・いわき市出身。09年には県内屈指の県立進学校で知られる磐城高で主将を務め、10年ぶりの全国高校ラグビー大会出場に導いた。
■「想像超えていた…見たことがある景色変わっていた」
震災時は東海大の1年生だった。トレーニング前。寮でテレビを見ながら、必死に家族と連絡を取ったが電話がつながらない。実家は海のすぐ近くだった。幸い家族は事なきを得たが、無事を祈り続けた記憶は消えることがない。
帰省できたのは震災から3、4カ月後。画面越しをはるかに上回る震災の恐ろしさを痛感した。津波が襲った約5メートルの高さまで木は枯れ、実家前にある祖母の家は半壊。市内の死者は400人以上を数えた。「想像を超えていた。見たことがある景色が変わっていた」と絶句した。
シーウェイブスに入団した理由の一つが、復興への思いだった。釜石市は震災で関連死を含め1000人以上の死者・行方不明者が出た。加入したのは14年。「まだまだ復興の途中だった。チームの活躍が地域の復興につながるイメージだったので、力になれれば」と決断。仮設住宅で暮らす人が多かったため、市民の引越しや雪かきにも積極的に参加した。