2007年6月、東京ドームで巨人通算5000勝達成記念イベントに参加した左から川上氏、原監督、黒江氏 現役時代は打撃の神様の異名を取り、監督としてはV9を含む11度の日本一に輝いた故川上哲治氏(2013年に93歳で死去)。中日のエースとして対戦したフォークボールの神様こと杉下茂氏(94)、川上監督4年目の64年8月に巨人に入団した黒江透修氏(81)=本紙専属評論家=が、それぞれ思い出を語った。
真っ先に思い出すのは勝利に対する執念。プライベートのゴルフやマージャンまで、勝負事は勝ちにこだわった。出身が熊本と鹿児島という隣県同士ということで、身内意識もあったのだろう。ゴルフでは、よく同じ組に指名してもらった。だが、私を勝たせて、花を持たせてやろうなんてことは一度もなかった。
勝負に厳しくても、敗戦につながるミスを犯した選手を責めることはしなかった。叱られ役はチームの中心選手で、気持ちの切り替えが早い長嶋茂雄さんだった。
ある負け試合の後、宿舎の風呂で汗を流していると、コーチとのミーティングが長引いたのか、川上さんがあとから入ってきた。「先に入ってすみません」と頭を下げる私に、「いいんだよ。きょうの負けは、おれの責任だ。気にせずに明日は頼むよ」と思いもしない言葉をかけてくれた。
当時は仏の航空会社エールフランスがオフに、両リーグの優勝監督とMVPを欧州旅行に招待してくれた。川上さんや長嶋さん、王貞治は何度も行っていたので、ある年は私と高田繁に代役が回ってきた。
パの監督は阪急(現オリックス)の故西本幸雄さん。9連覇中は日本シリーズで5度対戦し、一度も日本一になれなかった。巨人の強さの一端を探りたかったのだろう。「なあ、クロちゃん。哲ちゃんはどういう人間や?」と聞かれて、風呂の話をさせてもらった。川上さんと同じ1920年生まれの西本さんは「そんなこと(敗戦は自分の責任)を言うんか。おれは、それができんのや」と苦笑いされていた。
9連覇の後半は楽なシーズンなどなかった。厳しいだけでなく、選手への目配り、気配りができる監督だから、勝ち続けることができたと思う。(元巨人内野手)
この記事をシェアする