楽天の監督を務めていた野村克也さん(右)にあいさつへ訪れたオリックス時代の清原和博氏(2008年9月撮影) フジテレビ系で16日、虚血性心不全で11日に死去した野村克也さん(享年84)の追悼特別番組「秘蔵映像でつづるノムさんの野球人生と家族愛」(後8・0)が放送され、プロ野球の西武、オリックス、巨人で通算525本塁打を記録した元プロ野球選手の清原和博氏(52)が番組に寄せた直筆の手紙が公開された。
「今こうして手紙を書いていることを残念に思います。そして直接お詫びを言いたかったと、後悔の念にかられています」と清原氏。
番組に寄せた6枚の便せんには、野村さんへの感謝と謝罪の思いが記されていた。
頭の大きさも規格外だった清原氏。高卒で西武に入団した当初、サイズが合うヘルメットがなかったが、倉庫に眠っていた野村さんの現役時代のヘルメットはピッタリだったといい、引退までの23年間にわたって色を塗り替え、修理しながら使い続けた。清原氏は「野村さんから引き継いだヘルメットは、野村さんの形見として一生大切にしていきます」とヘルメットがつないだ絆に感謝した。
また、巨人に移籍した1997年には、成績に思い悩み野村さんに相談を持ちかけた。野村さんは「会わない方がいいだろう」と手紙とサイン入りのバットを送ってくれたといい、「手紙には技術的なことではなく、気の持ち方が書いてあり、何度も繰り返して読ませていただいた」と告白。「一度でいいから同じユニホームを着て野村監督の下で野球をやりたかった。野球を勉強させていただきたかったと思っていました」と現役時代に秘めていた思いを明かした。
引退後は、2017年12月に85歳で亡くなった野村さんの妻、沙知代さんも含めて何度か食事に行ったこともあるというが、16年2月に自身が覚せい剤取締法違反で逮捕されたことで、それ以来会うことはかなわなかった。
清原氏は「私が罪を犯した時、野村さんがバカヤロウだと人づてにコメントしたと聞き、本当に心が痛みました。そして、判決を受けた後には、いつか野球界に戻ってこいと伝えてくださいました。執行猶予を終えたら、直接謝罪に行かなければならないと思っていました。新人の頃から期待をかけて頂き、ことある毎に声をかけて下さったのに、裏切ってしまい、心からお詫びしたいと思っていました。それがかなわず、残念で残念で仕方ありません」と謝罪と後悔の念を記し、最後は「野村さん、安らかにお眠りください。ありがとうございました。そして本当に申し訳ありませんでした」と結んだ。
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