40年近く阪神戦中継に携わってきた毎日放送・赤木誠アナウンサー(60)がタイガースとの触れ合いを語る「虎HISTORY」。4回目は、タイガース史上最高の1番打者、真弓明信。ただ、タテジマ戦士というより、あの球団の真弓さんへの思い入れが強すぎて…。
真弓さんの実況はヤマほどしていますが、何本もの本塁打より、1本のサヨナラ打が忘れられません。1992年5月27日の阪神-大洋(甲子園)。1-1で突入した延長は降りしきる雨の中、ついに最終十五回に。そこで登場したのが代打・真弓。試合開始から5時間28分ベンチで待っていた真弓さんが、欠端光則投手のフォークをとらえて、サヨナラ打を放ったんです。
「真弓、健在!」
叫びました。ちょうど、亀山努、新庄剛志が台頭して、開幕スタメンだった真弓さんが代打で控えに回りだした時期。そこから、代打の切り札として活躍し、2年後には「シーズン代打打点30」の日本記録を樹立することになるのです。
実は私と真弓さんの関係は、今回の連載で登場した誰よりも長く、古いんですよ。熱狂的な西鉄ライオンズファンだった私は、九州大に入学と同時に「西鉄ライオンズ研究会」に入部。九大生が勉強もせず平和台球場で野球ばかり観戦して(笑)、当時のプロ野球ニュース(カンテレ系)に取り上げられるほどの、ちょっとした有名な集まりでした。
調子に乗って、1978年前期(当時のパ・リーグは前後期制)MVPを真弓さんに決定し、表彰したいと球団に申し入れたんです。そうしたら、何と真弓さんが快諾してくれまして。前期日程終了後に、平和台球場の一塁側ベンチ前で、表彰式を開催。1サークルの勝手な表彰に、プロ野球選手がわざわざ来てくれる。今じゃ考えられない話ですよね。後年、その時の写真を真弓さんに見せたら「覚えてないけど、これ俺やな」と笑って眺めてました。
さらにその年の秋のこと。大学祭にも招待したら、またまた来てくださったんです。真弓さんのほかにも竹之内雅史さん、基満男さん、大田卓司さん。主力が勢ぞろい。ちょうど、クラウンライターライオンズが西武に身売りされ、チームが埼玉へ行く直前で、真弓さん、竹之内さんも阪神へのトレードが決まっていました。福岡を去るスターが快くサヨナラサイン会に応じて下さり、大学祭史上最高の盛り上がりといわれたものです。
「上質な常識人」
真弓さんをよく知る仲間たちの、真弓評です。ハチャメチャなことはしない、言わない。だからこそ安心して付き合えるみたいです。
1985年優勝時にリリーフで活躍した福間納さんは今も真弓さんに感謝します。巨人・原辰徳(現監督)にサヨナラ本塁打を浴びた翌日に、再びピンチで当時の吉田義男監督は福間をマウンドに送った。中継ぎ人生を左右する場面です。右翼フェンス際で打球を好捕したのが真弓さん。「あのプレーがなかったら、その後どうなっていたか」と転機ととらえる福間さん。ところが真弓さんに聞くと「何でもないフライや」とサラリ。
私の実況生活の中で印象に残る試合の1つが、2001年9月26日の近鉄-オリックス(大阪ドーム)。かの有名な北川博敏(現ヤクルト2軍打撃コーチ)の代打逆転満塁サヨナラ優勝決定本塁打です。あのミラクル弾が生まれる直前、北川に耳打ちしていたのが真弓さん(当時近鉄打撃コーチ)。私も「真弓コーチが何か話しかけています」と実況しているんです。後に北川は「あのひとことで楽になりました」と感謝。ところが真弓さんはここでも「たいしたことは言ってない。打った北川がえらい」。自分が、自分が、という人間が多い世の中で、どこまでも「上質な常識人」です。
そういえば、安藤統男元監督も「真弓はずっと、生え抜きの掛布と岡田に遠慮してたなぁ」と言ってました。真弓さんは心底いい人です。
阪神監督就任会見の代表インタビューも、思い出の1つ。背番号「72」の意味を聞いたら「阪神時代の『7』と西鉄ライオンズ入団時の『2』で…」。ライオンズファンとしては、心の中で「おーっ」と盛り上がったものです。私の中では今も「ライオンズの真弓」なのかもしれませんね。
★「喜びすぎ」怒られた
「虎ヒストリー」なのにライオンズばかりになってすみません…と謝る赤木アナ。でも、ファンはどうしようもない。実は大学祭に招いた基満男さんは大洋に移籍し、その後、阪神戦でサヨナラ本塁打を放つ。この試合のラジオ実況をしたのも赤木アナ。関西の阪神ファン向けなのに、元ライオンズの活躍にハイテンション実況してしまい、上司から「喜びすぎや」と怒られたそうだ。