二人三脚でやってきた米国在住のパイロット、柳田一昭氏(68)とも日本で会って説明した。柳田氏は話を聞いた後、「金が集まらない、金がないなら仕方ないな」と静かに一言発したという。
柳田氏は2017年6月、千葉県で開催されたレッドブル・エアレースのエキシビションとして、「戦後初めて、日本人所有の零戦が日本人パイロットにより日本の空を飛行」した際、操縦桿(かん)を握った、その人だ。米カリフォルニア州・チノ空港に置いてある機体の保守・管理をボランティアとして引き受けている。さらに自らに続く日本人零戦パイロットの育成も同地で手がけている。
石塚氏は10月末、この代理店と委託契約を結んだ。代理店はすぐに動き出し、1週間ほどの間に英国のコレクターら計7件の問い合わせがきた。「飛行可能な零戦」に対する海外の注目度の高さが分かる。
今後は購入希望者が実際の機体を見たり、価格や引き渡し日時など契約内容の交渉に入っていく流れ。最速で年内にも売買契約が成立する可能性があるが、これまでの問い合わせは全て海外から。つまりこのままでは、第3858号機が日本に戻ることはなくなる。
「零戦の稼働機は博物館や財団が所有しているので、売りに出されることはまずない」(石塚氏)ことから、相場が形成されにくい状況だったといえるが、フライング・レジェンド博物館の機体に500万ドルの値が付いたことで、この価格が軸になっていく見通しだ。
石塚氏は寂しさ、徒労感を感じると同時に、ある種の安心感も抱いている。「飛行機にとっては海外にいる方が、整備も飛行も十分にできて、『人殺しの道具だ』なんて言われることもないし、幸せかもしれない」。
ただ零戦が日本で保管され、飛び続けてほしいという願いを捨てきれない。そのため、代理店との間に日本国内で石塚氏が売却先を見つければ、海外よりも優先されるという取り決めをした。「最後の手は、出資者を募る『オーナーズクラブ』ができるかどうかです」。
柳田氏は「今後は日本国内にある個人所有機のどれか1機でも飛行可能にして保存するということを提案し、全力で手伝うつもりでいる。もっと零戦パイロットが増えることを願っている」としている。
第3858号機が果たせそうもない「日本人が所有し、日本国内で動態保存され、日本人パイロットが、日本の空で飛ばす」という夢を現実のものとする機体が出てくることを、願ってやまない。(梶川浩伸)
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