石塚氏が同機の売却の意志を明らかにしたのは昨年11月にさかのぼる。「自らの経済状況ではもはや維持は無理と判断した」(石塚氏)から。「零戦売ります」の記事は当連載を始め、いくつものメディアに取り上げられた。
それでも、なんとかして国内で動態保存したかった。かねて「若い人に日本や日本人のアイデンティティーを失ってほしくない。明治維新以降の70年を全否定しないで、終戦からの70年との結びつきを考える必要がある」との思いを抱いており、そのために「日本のモノ造りの原点で、技術遺産」の零戦は最適と考えているからだ。
さらに零戦の国内動態保存の先には、近代日本の歩みを網羅し、車、バイクや航空機などを稼働状態で保存し教育にも活用する「ナショナルミュージアムの建設」がある。だから海外から引き合いがあっても断ってきた。
国内の売却先探しに奔走していたところ、昨年11月、ある自治体の関係者が接触してきた。博物館を建設して、ゆくゆくは脇に滑走路も備える構想だった。動態保存前提で話は進んでいき、石塚氏も「この話がまとまらないなら、もう日本で維持するのは無理だと感じた」というほど入れ込んだ。
しかし6月ごろに急転する。相手方の中心人物が急に後ろ向きになり、結局、売却は事実上白紙撤回となった。石塚氏は、提示した4億円という金額に対して横やりが入ったことや、「戦争賛美に繋がる」といわれのない政治的圧力などが重なったのが理由とみている。
悪いことは重なる。9月にはエンジンのオーバーホールが必要になった。「7~8万ドル(798万~912万円、1ドル=114円で計算)かかる。もう払えない」(石塚氏)。
そんなとき、10月に入って米テキサス州のフライング・レジェンド博物館が保有する飛行可能な21型が売却された。売却先は不明だが、価格は500万ドル(5億7000万円)という。
7月には知り合いのスイスにある航空機売買の仲介をする代理店から「海外マーケットに出さないか」と誘われていた。ついに海外での売却に踏み切ることにした。
「零戦で日本に帰ってくることができるのは、私が所有していた機体だけだが、もう私一人の肩には荷が重すぎる」
これまで「金もうけのためにやっている」などと批判されることもあった。しかし、維持費や米国との間の輸送費などで零戦が日本に里帰りした後の4年半だけで「借金は1億2000万円」(石塚氏)という。経済的な負担を抱えながらも情熱を傾けてきたが、決断せざるを得なかった。
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