これ以前にも複数回、東京を訪れて東京ディズニーランド(TDL)に行ったり、新橋など都心のホテルを拠点に観光したりしてTDL好きとの情報も。北京やマカオなどで報道陣の質問に応じるなど、フランクな人柄ものぞかせた。
一方で、三代世襲を批判して正恩氏を「独裁者」と呼び、北の現体制には批判的だった。正恩氏にとっては邪魔な存在。しかも北の体制維持にとって最重要な軍内部には、正男氏のシンパも多いとされる。
暗殺の危機は、たびたびあった。09年4月に正男氏の側近らが集まった平壌の別荘が襲撃。10年7月に秘密警察の国家安全保衛部が暗殺指令を出していたことを、元工作員の脱北者が証言した。正恩政権が発足した直後の12年には「場所、手段を選ばず正男氏を除去せよ」との指令が出され、中国に滞在する工作員に毒針が配布されていた。
防波堤になっていたのが、正恩氏の叔父で北のナンバー2だった張成沢(チャン・ソンテク)氏。正男氏の幼少期から養育に関わり、情報機関や警察などを掌握する北朝鮮労働党行政部長を務めていたこともあり、暗殺にブレーキをかけていた。しかし13年12月に張氏は粛清された。
韓国メディアは「正恩氏が偶像化の障害を取り除くため暗殺したのでは」と伝えたが、今後憶測を呼ぶことは確実だ。
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