[1]娘にさせるつもりはなかった
川井がレスリングを始めたきっかけは「地元で大会(=ジャパンキッズレスリング)があるけど、出てみるか?」と、父・孝人さん(49)が声をかけたこと。父も大学の体育会でレスリングをしていたが、母は娘にさせるつもりはなかった。
「自分が競技を一生懸命やっていたので、親がやっていたとか、やらされたとかの中途半端な気持ちでやってほしくなかった。自分の意志じゃないと」
初江さんがレスリングを始めた理由は「強くなりたい」という思いと、プロレスブームが重なったからだった。当時は五輪の種目ではなかったため、1991年に開催される東京での世界選手権で優勝して恩返しすることを目標に、山本美憂(44)=KRAZY BEE=らと練習を続けた。残念ながらその夢はかなわず引退したが、89年の世界選手権に出場。7位という成績を残した。
最初の大会で男子に敗北を喫し悔しさで号泣した娘は、レスリングに取り組むことを決めた。初江さんは川井が小2の時は練習の送迎をするだけだったが、所属していた金沢ジュニアの指導者が来られなくなったことにより自ら教えることに。厳しい練習が始まった。