山下氏は白井へのメッセージを色紙に記した (撮影・加藤圭祐) 1964年東京五輪種目別跳馬金メダリストの山下(現姓松田)治広氏(77)=日体大名誉教授=が16日、銅メダルに輝いた白井に祝福メッセージを寄せた。川崎市内の自宅でテレビ観戦。「ヤマシタ跳び」や「新ヤマシタ跳び」で世界を驚かせた跳馬のレジェンドは、地元五輪で金メダルの夢を託した。 (取材構成・小澤佐重喜)
すごいですね。新技で15・833。1種目だけならトップですから。4回ひねりもいけると思う。われわれの頃は2回ひねりぐらいしか考えられなかった。床運動ではあんな形での失敗があったのに、跳馬でよく立て直した。メダルのことは考えず、演技に集中していた。大したものです。
64年の東京五輪を思い出しました。現在と違い、当時は2種類の跳び方を2度ずつ演技。「ヤマシタ跳び」と「新ヤマシタ跳び」のどちらも未完成でしたが、メダルがほしかったので思いきって挑戦しました。「ヤマシタ跳び」の1本目は10点満点を出す審判もおり9・90の最高点。「新ヤマシタ跳び」も9・80で、金メダルを取れました。
白井君は本当に惜しかった。金を取らせたかった。考えすぎて、練習をし過ぎてしまったのではないか。試合直前に何回も練習したと聞いています。その疲れが残っていたのかもしれません。
4年後の東京五輪は今回の失敗を生かし、日本のエースとして臨んでもらいたい。色紙には『内村君の後は君しかいない。頑張って下さい!!』と大きな期待を込めて書かせてもらいました。床と跳馬以外の種目もよくなってきている。君ならできると思っています。(1964年東京五輪体操男子団体総合、種目別跳馬金メダリスト)
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