--2012年に血縁関係のない養母から遺産相続。話を聞いたときはビックリした
「最初に金額を聞いたときは、さすがにビックリしたのとニヤッとしたのと両方がありましたね。しかも僕1人がもらうものだと聞いていたので、『これ、マジか、大丈夫かな』っていうのはありました。でも、おばあちゃんの広い家に住んでいたりしたので、あまり『エッ!?』とは思わなかったのが本音ですね」
--1998年に地元の大阪でタレント事務所に所属し、2000年からバンド活動。03年からは上京して俳優の虎牙光揮の付き人を1年くらいやっていた
「そうなんです。僕は一本筋じゃなくて芸能界、テレビに出たいと思ったときに、まず大阪のタレント事務所に入りました。大阪では吉本興業が有名なので、吉本のNSCって養成所に入ればテレビに出られると思って受けたんですよ。でも、それがちょっと間違えてしまってNACってところに入っちゃって」
--1文字違いで間違えちゃった…
「そうなんです(笑)。でも、ちゃんとエキストラの仕事とかに行かせてもらったんですよ。ここだと出られるんだって思ってました」
--それはいつごろ?
「高2、3年の2年間はやってました。途中から気づいたんです。これは吉本じゃないなって。それで、もともとやっていた音楽を始めました」
--そこから音楽
「高校卒業すると同時に、プロになろうってバンドを頑張っていました。当時はすごいバンドブームでミクスチャー(混合)っていうのがはやりだした時期で、ORANGE RANGEやHYとか、ラップとボーカルがいるっていうのがはやっていたんですね。僕はラッパーとしてツインボーカルでやっていて、実はメジャーデビューが決まっていたんですよ。でも、デビューというときに僕だけがクビになったんです」
--なぜ
「突然『もうラップいらない』って言われて。僕だけがクビに。メンバーがみんなで口裏を合わせて、メジャーデビューのちょっと前に僕をクビにするっていうのが計画されていたんです」
--下積み時代を一緒に頑張ってきた仲間なのに
「『マジか!?』って(苦笑)。最後に一緒にワンマンライブやって、かたやメジャーデビューし、かたや1人になる。それで『オレは1人でやるわ。東京に行きます』って上京したんですよ。東京で芸能事務所に入って、『役者の付き人やりなよ。勉強になるから』って言われて付き人をやらせてもらった。1年ぐらいでしたね。付き人は自分と一緒に音楽をやれるバンドを探しながらやってましたね」
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