引退セレモニーの翌年、リトルリーグに入団した。オヤジから野球をやるように言われたことは一度もなかった。野球は大好きで、大リーグの映像まで見ていた。好きだったのはレッズの強肩強打の捕手、ジョニー・ベンチ。オヤジがそろえてくれたプロテクターやレガーズを着けたまま寝たこともあった。
ただ野球をやりたかったから始めただけなのに、自分だけが特別扱いされていると感じることが多かった。背番号は巨人の監督に就任したオヤジと同じ90番で、ポジションは3番でサード。飛び抜けて上手ではなかったから、友達も不満に思っている。小学4年生には残酷な状況だった。
知らない大人に家族のことを聞かれることも嫌だった。偉大な父親を目指す息子の姿は格好のネタだったのだろうが、子供には理解できない。「お父さんに何か教えてもらった?」なんて質問されると、家に土足で上がられたような気分になった。
報道陣が近づいてきた途端、さっきまで話していた友達やチームメートが周囲からサーッといなくなる。あの寂しさは、経験した人間でなければ分からない。「このままだと野球を嫌いになる。野球をやめれば、このすべては終わる」とまで思い詰め、1年ほどでやめてしまった。
それから4年ほど野球から離れたものの、再開する予感はあった。「プロ野球選手になりたい」という夢までは捨てていなかったからだ。