1986年のドラフトで阿波野の1位指名に3球団が競合し、交渉権を獲得したのは想定外の近鉄。どこか引きつった表情で会見に臨んだ
ギャラリーページで見る すぐに「お世話になります」という言葉は出てきませんでしたね。あまりにも予想外のことばかりで…。1986年11月19日のドラフト会議。この日は、伊豆大島の三原山が噴火したことを覚えています。
亜大では東都大学リーグ戦通算32勝(歴代8位)。4年の秋はリーグ記録に並ぶシーズン9勝を挙げました。ドラフト当日、大学は私の会見場に大きな教室を用意してくれて、集まった仲間たちとテレビ中継を見ていました。
1位指名は愛知・享栄高の近藤真一に中日、ヤクルト、阪神、広島、日本ハムの5球団、私には巨人、大洋(現DeNA)、近鉄の3球団が重複しました。大洋は出身地の横浜市が本拠地。スカウトがよく声を掛けてくれて、巨人もあいさつにきてくれました。希望球団として「パ・リーグなら西武」と答えた記憶はありますが、近鉄の指名は想像したこともありません。
まず近藤の抽選で、相思相愛だった中日の星野仙一監督が当たりくじを引きました。すると、亜大の会見場も「5分の1が当たったぞ! 阿波野は3分の2だから、決まりだろう」と盛り上がりました。
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