1992年バルセロナ五輪のシンクロナイズドスイミング・デュエットで銅メダルを獲得したのは奥野(左)、高山(右)のペア。小谷(右から2人目)は直前にメンバーから外れ、メダルはなかった。中央左は井村コーチ 1992年8月7日、バルセロナ五輪のデュエット決勝。私がいたのはプールではなく、観客席だった。試合直前にメンバーから外されていた。
日本ペア(奥野史子、高山亜樹)の演技中なのに、両隣にはテレビのリポーターがいたし、多くのカメラマンがレンズをこちらへ向けていた。
「あっちで演技しているのに…。絶対、この人たちは私が泣くのを待っている…」
悔しくて、意地でも泣くものか、と思っていた。「格好よく後輩を見守る先輩を演じないと…」。観客席では冷静なつもりでいたが、2人が銅メダルを獲得すると気持ちが緩んで涙がこぼれた。かなり泣いたようにいわれているけど、涙は1粒だけだった。
予選の後、ずっと指導を受けていた金子正子先生(五輪代表ヘッドコーチ)が一度は「(デュエットは)小谷、高山」と発表した。理由は何と言われたか、よく覚えていない。
でも私には「本当にそれでいいの?」という葛藤があった。4年前のソウルでは「これでメダルが取れないわけがない」と思えるほど、300%ぐらいの自信があったのに、バルセロナでは「泳いでいいのかな」という不安があった。予選を上回る点数が出せるのかも分からなかった。