「ホームだけは踏ませないようにと思った」
梅野のリードに応え、強気に内角を攻めた。五-七回は1安打に抑え、自己最多の131球を投げた。新人バッテリーの先発による勝利は1983年の10月24日のヤクルト戦(神宮)の御子柴-木戸以来。和田監督もビックリ、31年ぶりの快挙だ。
「31年ぶり!? 俺、(阪神に)入る前や(85年入団)。そういう姿をみているのはベンチでもいい光景」と称えた。
開幕5戦目でプロ初登板初勝利。球速以上に速く見える独自の投球フォームで4月に2勝を挙げた。周囲からは「5勝は簡単にいける」ともてはやされたが、そこから3敗。壁に直面した。
苦しい状況で母校、国士舘大の岩下光一コーチ(74)の言葉が支えになった。同コーチはプロ野球の東映、日本ハムで内野手として10年間プレーした。
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