「ヘイッ、ミスター!」
天下のミスタータイガース・掛布雅之に向かって、そう叫んだ人間は、歴史上1人もいなかった…らしい。事件は安芸タイガータウンのメーン球場で起こった。ホームベース付近でノックバットを持つ掛布DCに、一、二塁間に立った今成が勇気を振り絞って? 絶叫だ。
「今まで呼ばれたこと? ないないない。調子こいてるなぁ、あいつ」
大それた掛け声に、そう笑った。それもそのはず、大打者が引退した1988年は、今成はまだ1歳だったのだ。「でも、そうやって声を掛けてくれることで、この3週間、彼らといい距離を作ることができましたね」と虎のミスター。フルメニューとしては最終日。心からうれしそうに、練習中のひとコマを振り返った。
野手全員が(1)一、二塁間、(2)二、三塁間、(3)左中間、(4)右中間の4カ所で何周も走ってノックを受け続ける「内外野部門別ノック」でのこと。掛布DCに最初の「人生初」が起きた。
「ノックする人が足りないから、と言われて。遊びで持ったことはあるけれど、こうやって本格的に、というのは人生初めてだよ」
ぎこちなかったノックがようやく軌道に乗り始めた2周目。再び今成が叫ぶ。「ヘイッ、ミスター!」。次々と起こる人生初に掛布DCが思わず苦笑いだ。
「掛布さんが寒そうだったので…。ああやることで疲れも分散できますし。掛布さんのノック? いい軌道でした」
いきなりの66スイングにも、茶目っ気たっぷりの犯人今成。掛布DCが持ち込んだ明るい空気感がそうさせるのだ。ミスタータイガースと呼ばれた男のもつ、きらめくような存在感…それは、安芸の若虎が感じたことのなかったもの。技術だけではなく、虎を変えている。
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