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2006.02.16 更新

 

朋ちゃん、バンクーバーの地で大輪咲かせるぞ!

このままでは終われない。この五輪、体調が万全だったら…。岡崎が10年バンクーバー五輪で再び−(共同)

このままでは終われない。この五輪、体調が万全だったら…。岡崎が10年バンクーバー五輪で再び−(共同)

あなたなら、きっとできる! スピードスケート女子500メートルで日本勢最高の4位になった岡崎朋美(34)=富士急=が4年後の10年バンクーバー五輪を目指す意向を示した。銅メダルの任慧(22)=中国=にわずか0秒05及ばなかった日本選手団主将は、自己管理の甘さを反省しながら、新たな自信も手にし、現役続行の意思を固めた様子。実現すれば38歳で5大会連続出場。日本スケート界の「宝」の限界点は、まだ先にある。

終わらない。終わらせない。岡崎のスケート人生のゴールはまだ見えない。

レース後のミックスゾーンで34歳はいたずらっぽく笑った。「(富士急の堀内光一郎)社長に『バンクーバーまでは』と言われました。う〜ん、考えます」。その口調、その笑顔。燃え尽きてしまったのなら、すぐに否定するはずだ。朋ちゃんスマイルの瞳には、38歳で迎えるバンクーバー五輪出場が見えている。

スタンドで応援した岡崎の所属する堀内社長から“要請”を受けたのは、4位に終わったレース直後。「ぜひバンクーバー五輪まで頑張ってほしい」と直々に口説かれた。岡崎は即答こそしなかったが、胸中では現役続行の意思を固めている。「後悔を残したままスケートを辞めることはできない」。それが岡崎の哲学だ。

悔いの残るレースだった。1回目で3位となり、メダルをかけて臨んだ2回目。最終コーナーでひざが浮く悪癖が出て失速し、任慧(中国)に逆転を許し、順位を1つ落とした。その差100分の5秒差。「自己管理をしっかりできなかった自分が悪いんです」。トリノ入り後に風邪を患い、レース1週間前に37・8度の熱を出した自分を責めた。

一方で自信も得た。発熱前の調子は最高で、長田照正監督は「37秒台を出せる状態にあった」と断言する。完調だったならば、金メダルのジュロワ(ロシア)と優勝争いができたという思いが残る。4度目の五輪の舞台でも完全燃焼できなかった。このままスケート人生に別れを告げることなどできるはずもない。

富士急スケート部のチーム事情もわかっている。「ポスト岡崎」の不在。現在の部員は6人いるが、岡崎を除いて個人種目でメダルを狙える位置にいる選手はいない。34歳にしてチーム1の練習量を誇る岡崎に、あと4年はチームを引っ張ってほしいという会社の考えも理解している。

バンクーバーの切符を獲得すれば、38歳で5大会連続五輪出場となる。尊敬する橋本聖子(現参院議員)は五輪に7度出場しているが、冬に限れば4度で、足掛け11年間での記録。岡崎の場合は94年リレハンメル大会に始まって、足掛け17年で5大会連続。瞬発力を求められるスケートの競技特性を考えれば、驚異の“長寿記録”だ。

今シーズン前の言葉にウソはない。「限界というのはその人があきらめた地点を指すもので、まだ私にはそれが見えていない」。進化する34歳はバンクーバーを見据えながら、再び限界点探しの旅に出る。

(片倉尚文)

■岡崎 朋美(おかざき・ともみ)

1971(昭和46)年9月7日、北海道・斜里郡清里町生まれ、34歳。光岳小3年のときにスケートを始め、清里中−釧路星園を経て90年に富士急入社。92年真駒内選抜で優勝し、初のW杯代表に。96年2月のローズビル大会でW杯初優勝。05年1月のW杯カルガリー大会で5年ぶりの優勝を飾るなど、日本女子最多のW杯通算12勝。五輪は初出場の94年リレハンメル大会が500メートル14位。98年長野五輪500メートル銅メダル(日本女子短距離陣初のメダル)、1000メートル7位。02年ソルトレークシティー五輪500メートル6位。1メートル64、57キロ。家族は両親と兄姉2人。

■0秒05差

岡崎と3位に入った任慧とのタイム差は100分の5秒。500メートルを2回、計1000メートルを滑走して、まばたきほどの差しかつかなかった。この差を2人の平均スピードから計算すると、1000メートル同走したと仮定し、任慧がゴールラインに達した時、岡崎は999.34997メートル地点を滑っていたことになる。差はつまり約65センチ、歩行ならほぼ1歩。ホントにあと一歩だった…。

■バンクーバー五輪

2010年2月12日から28日まで17日間にわたって開催される。バンクーバーはカナダの西海岸沿いのブリティッシュコロンビア州にあるカナダ第3の都市。開閉会式は市街中央のBCプレイス・スタジアムで行われ、スケート競技は市内で、スキー競技はロッキー山脈のウィスラーで実施される。細かな競技日程は08年に決まり、09年秋から聖火リレーが始まる。

■五輪年長記録

スウェーデンのオスカー・スパーンは72歳で出場した1920年アントワープ五輪の射撃団体戦で銀メダルを獲得した。これが出場とメダリストの最年長記録。スパーンは12年ストックホルム五輪の同種目での優勝メンバーでもあり、64歳の最年長金メダリストだ。女子の最年長出場は02年ソルトレークシティー五輪のリュージュ女子1人乗り代表のアン・アバナシー(米領バージン諸島)で48歳だった。

■五輪連続出場

世界最多はイタリアのピエーロ・ディンゼオ。馬術で25歳の48年ロンドン五輪から53歳の76年モントリオール五輪まで連続8度出場という大記録をつくった。日本では橋本聖子がスピードスケートで冬季4度、自転車で夏季3度の計7度連続出場。スキー・ジャンプの原田雅彦と葛西紀明が今大会で5度連続出場を果たした。

◆8位・大菅小百合(日本電産サンキョー)

「何とかしてメダルがほしいと思っていたけど。悔しい。ただ、W杯などとは違う独特の緊張感を、再び味わうことができたのはうれしく思う」

◆9位・吉井小百合(日本電産サンキョー)

「2回目はコーナーでミスをしてしまったのが残念。でも、これはやるべきことをやろうとした結果なので悔いはない。自分のテクニックが足りなかった」