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2006.02.14 更新

 

悪夢!メロ転倒!兄・童夢に続きメダルの夢散る

メロ

痛いっ! 転倒し、腰を強打して立ち上がれないメロ。でも、本当に傷ついたのは“心”…(撮影・奈須稔)

メロの夢が、無残に散った。女子ハーフパイプ(HP)のメダル候補、五輪初出場となった今井メロ(18)=ロシニョール・ディナスターク=が、予選1回目、同2回目も転倒。それぞれ上位6人が進む決勝へ進めず、腰を強打して病院へ運ばれた。兄・成田童夢(20)=キスマーク=とともに狙った兄妹同時表彰台の野望も砕け散った。決勝に進んだ日本勢3人は、中島志保(27)=ヨネックス=が9位、山岡聡子(31)=アネックス=は10位、伏見知何子(31)=UPスポーツ=は12位だった。

あまりに短い。短すぎる。10歳のころから夢見た五輪の舞台で、想像もできない惨劇がメロを待っていた。

勝負をかけた予選2回目。最初のエアで屈身から伸身へと変化しながら縦に1回転、横に2回転するオリジナル技「メロウ720」を繰り出した直後だった。バランスを崩すと、あおむけに倒れこみ、そのまま動けない。ピンクの勝負服で華麗に舞うはずの夢舞台で、転倒したままズルズルとゴールにたどり着く。無惨な姿…。

担架に乗せられ、声を出して泣いた。1回目と合わせ、メロの五輪はわずか2度のエアだけで幕を閉じた。医務室に運ばれた後、ヘリコプターでトリノ市内の総合病院へ。日本オリンピック委員会(JOC)によると、メロは選手村に戻りたがったが、大会規定で病院に向かった。痛めたのは体だけでなく、“18歳の心”だった。

史上最年少の12歳でプロスノーボーダーとしてデビュー。「天才少女」と騒がれ、ワールドカップ(W杯)本格参戦2年目の昨季は全7戦のうち優勝2度、表彰台に5度上がった。前走者を務めた98年長野五輪から思い続けた五輪のパイプには、苦難を乗り越えてたどり着いた。

昨年7月、用具メーカーとのトラブルなどから、当時メロが所属していたクラブの監督を務めていた父・隆史さん(56)が五輪内定辞退を表明。その父の独断的なやり方に反発を覚え、独立。実母のもとに身を寄せた。姓も「成田夢露(めろ)」から母の姓である「今井メロ」に変え、再スタートを切った。

「17歳の女王」「金メダル候補」と高い前評判もあり、スポンサーが次々と名乗りをあげた。五輪後にCDデビューするプランも出たほど、人気は急上昇。一方で、指導者もなく、練習メニューは自ら組み立てた。フォームのチェックも1人で行う不安な環境。気がつけば、必死のダイエットで絞った体は48キロから55キロまで増え、エアの高さ、スピード、キレが落ちた。日本選手団の大西祥平医師(53)は「体のことは自分が一番知っているべきだ。(今井は)見た目に体重が増えている」と指摘する。

試合会場となったバルドネッキアは、昨年2月のW杯で初めて表彰台(2位)に立った思い出の地。兄・童夢と狙った史上初の兄妹同時メダルの野望も砕け散った。前日の男子HPで兄も予選落ち。その兄から夢を託され、「思い切り行け。周りに流されるな」とアドバイスを受け、手を握りあってスタートしたのに…。

冬季五輪で日本人最年少となる18歳3カ月での表彰台の夢は、あまりにも残酷に暗転した。

(伊藤隆)

★そのとき

応援のため現地入りし、医務室でメロと面会した母・多美江さんは「本人は大丈夫と言っている。医者も骨に異常はないと言っている」と落ち着いた様子で、娘をいたわった。

今井メロ・今季成績
年・月・日大会順位
05・10・21W杯ザースフェ大会1位
12・10W杯ウィスラー大会14位
118位
06・1・14FISキスマークカップ・ジャパン3位
2・13トリノ五輪予落

■今井 メロ(いまい・めろ)

本名・今井夢露。1987(昭和62)年10月26日、大阪・住之江区生まれ、18歳。6歳からスノーボードを始め、大阪・加賀屋小6年のときに12歳で最年少プロに。加賀屋中卒。04年3月の全日本選手権女子HP優勝。04−05年W杯種目別総合優勝。01年にはワールドゲームズ水上スキーの女子ウエークボードでも優勝している。昨年9月に成田姓から改名。ロシニョール・ディナスターク所属。1メートル54。

■ハーフパイプ

半円形のコースで、スタートからゴールまでの間に左右の壁を使って、ジャンプやトリックなどの技を連続して行い、難易度やエア(ジャンプ)の高さなどを採点して順位を決定する。もっとも高さの低い部分をボトム、壁を登り切った角の部分をリップと呼ぶ。

◆中島志保

「悔いの残らない滑りができたけど、米国には完敗。終わったらのんびりしようと思ったけど、できないですね」

◆山岡聡子

「完ぺきな自分の滑りをしてもメダルには届かない。W杯の優勝は自信にならない」

◆伏見知何子

「(決勝で2回とも転倒し)最後まで滑って、いろんな人に見てもらいたかった。ちょっと悔しい」

★兄・童夢も予選で…

W杯通算2勝の実績を引っさげて臨んだが、予選1回目はミスが響いて15位。予選2回目は両手で観衆をあおり、絶叫してからスタート。2つ目のトリックで大技の1080(テン・エイティ、横3回転)に挑んだが、着地で体勢を崩し、わずか14・7点で29位に沈んだ。「五輪は楽しさも普通の大会の倍以上だけど、負けた悔しさも倍以上」と、雪上を叩いて悔しがった。

昨年3月の右ひざじん帯手術から復活。指導法をめぐって父・隆史さんと対立し、大阪の自宅を“家出”。独立して初の五輪に出場したが、会場の雰囲気に飲み込まれた。試合後は目を真っ赤にして、「悔しい。大会で泣いたのは初めて。4年後、必ず雪辱する」と声を震わせた。