2006.02.12 更新
複合波乱の幕開け、高橋大斗が棄権…腰痛深刻だった
今大会第1号の表彰台も期待された男、高橋が無念の棄権…(共同)
トリノ五輪 第2日(11日)。エエッ〜、いきなりリタイア! 大会の競技がスタート。個人で、腰痛をおして強行出場したエース高橋大斗(25)=土屋ホーム=が前半飛躍(ノーマルヒル=HS106メートル、K点95メートル)で97・5メートル、96メートルと距離を伸ばせず、233・5点で12位と大きく出遅れ、後半距離(15キロ)を棄権した。日本勢は小林範仁(23)=東京美装=が前半23位から巻き返して16位と健闘した。畠山陽輔(25)=秋田ゼロックス=は32位、北村隆(28)=東京美装=は43位だった。
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想定外の腰痛に、高橋が翼を折られ、闘志も奪われた。いつものジャンプができない。ライバル勢が次々と100メートル超の大飛行をするなか、K点をかろうじて越える97・5メートルと96メートルで12位に失速。後半の距離は首位から1分56秒差のスタートとなる、絶望的な出遅れだ。もう挽回は不可能。早坂毅代司監督らと相談し、約2時間後に始まる予定だった後半距離の棄権を決断した。
「こんなもんでしょう。これ以上は望めないです。腰がよければ、もっと飛んでくる。2本飛べただけでよしとしないと…」
痛恨のギブアップ。あきらめと自嘲の苦笑いが浮かぶ。荻原健司引退後、日本ノルディック複合陣を引っ張ってきたエースも、突然の腰痛に勝てなかった。9日のジャンプ公式練習で1本目を飛んだ後、腰に違和感を覚えた。その後の練習を中止して選手村で診察を受け、翌10日の練習も回避。出場も危ぶまれるほどの重症で、この日も試技は飛ばず、ぶっつけ本番で臨んだが、本調子にはほど遠かった。
「オレってアホだなぁ。同じ過ちを2度繰り返してる…」
やはりこのジャンプ台は鬼門だった。昨年2月にプレ五輪として行われたワールドカップ(W杯)でもジャンプの練習中の着地時に腰を痛めて欠場。「ぎっくり腰の少し手前」という症状で、直後の世界選手権は個人スプリントのみの出場で10位に終わった。
「全身に力が入らない。前回と感覚がいっしょ。今後の出場は練習次第です」
今大会日本勢第1号のメダルも期待された男の口から、絶望的な言葉しか出てこない。距離の棄権について早坂監督は「今後、団体(15日)や個人スプリント(21日)もあるので大事をとった」と説明したが、実力でも精神的にも日本チームの支柱なだけに、影響は深刻。五輪開幕直後に、はやくも暗雲が立ちこめた。
■高橋 大斗(たかはし・だいと)
1980(昭和55)年12月16日、秋田・北秋田市出身、25歳。鷹巣農林高から北海道東海大を経て土屋ホーム。98−99シーズンに日本の高校生として初めてW杯転戦を経験。以後、日本の中心選手として活躍。02年ソルトレークシティー五輪個人スプリント6位。03年世界選手権個人10位。04年3月のW杯個人スプリントで初優勝。1メートル71、63キロ。
★そのとき
応援に駆けつけた大斗の母・茂子さん(56)は「(違和感を訴えていた)腰が心配で見ていられない」と不安顔。青いスーツの高橋がジャンプ台に立つと、観客席で両手を合わせ「大斗」と叫んだ。姉・ゆりあさん(27)は「弟は家ではお手伝いをしない怠け者だけど、ジャンプでは堂々としている」と、声をからして応援したが…。
★畠山32位、北村43位
◆小林範仁
「(後半距離は)いつも通り。もっと順位を上げられると思ったけど、予想以上にコースがきつかった。最後はばてたが自分の力は出せた。満足です」


◆畠山陽輔
「ジャンプはW杯よりいいけど、走りはよくなかった。残念だがこれが現状。団体はジャンプでもう少し高い点をとって貢献したい」