2018.7.13 05:03

聖火リレー、20年3・26福島スタート「不屈の精神を全国に受け継いでいく」

聖火リレー、20年3・26福島スタート「不屈の精神を全国に受け継いでいく」

東京五輪・パラリンピックの調整会議を終え、記者の質問に答える組織委の森会長 =東京都港区

東京五輪・パラリンピックの調整会議を終え、記者の質問に答える組織委の森会長 =東京都港区【拡大】

 2020年東京五輪の聖火リレーで47都道府県を巡る順番と日程が12日、決定した。開催理念である東日本大震災からの「復興五輪」を前面に打ち出し、東京電力福島第1原発事故など震災で甚大な被害を受けた福島県を同年3月26日にスタート。一筆書きで日本列島をおおむね時計回りに巡り、7月24日の開会式で東京・新国立競技場の聖火台に点火される。

 聖火リレーの総日数は移動日を含め121日。大会組織委員会、東京都、政府など大会準備に関わる組織のトップを集めた調整会議が了承した。

 組織委は福島県を選んだ理由として、被災地の中でも避難生活を送る人が多い点などを挙げ「困難を乗り越える力や不屈の精神を全国に受け継いでいく聖火リレーにしたい」と説明。具体的なルートは、今回の日程を基に各都道府県の実行委員会が策定。国際オリンピック委員会(IOC)の承認を得た上で来年の春から夏にかけて公表する。

 序盤の3~4月は比較的温暖な地域を目指し、福島県から本州を南下し、大阪府から四国、愛媛県から九州に渡る。九州の東側を南に下って5月初旬に沖縄県で折り返し、九州の西側を北に向かう。その後、中国地方を経て日本海側を北上。6月中旬に北海道に入って岩手県、宮城県を通過した後は、静岡県に飛び、終盤は東京の近隣県を駆け抜ける。

 都道府県別の日数配分は開催都市の東京が15日、被災3県の岩手、宮城、福島と東京都外で複数の競技会場がある埼玉、千葉、神奈川、静岡の計7県をそれぞれ3日間、その他の39道府県は各2日とした。

 組織委の森喜朗会長は「日本全体の人が(五輪を)最も享受し、参加できるのは、聖火リレー。次の世代に希望や勇気を託していく素晴らしい教材だ」と述べ、全国的な大会機運の盛り上がりにつながることを期待した。

 ギリシャで採火した聖火は、リレーを実施する前に「復興の火」として岩手、宮城、福島の3県で展示する計画がある。

★自治体反応

 福島県の内堀雅雄知事は「心から感謝する。東日本大震災以降、全国からもらった応援への感謝と、県が復興へ向け前進している姿を発信したい」と語った。津波や原発事故で大きな被害に遭った市町村をルートとするよう求める意見もあり、「検討したい」と前向きな考えを示した。一方、宮城県石巻市を出発点とするよう要望してきた村井嘉浩県知事は「残念だが、復興した姿を世界に発信する機会になるようしっかり取り組む」とのコメントを出した。

★前回第1走者

 1964年の東京五輪で第1走者を務めた沖縄県浦添市の宮城勇さん(76)は、今回の決定を「被災地の未来を照らす希望の光になってほしい」と喜んだ。琉球大4年生だった宮城さんが那覇空港で、台湾から空路で運ばれてきた聖火を受け取ると、2万人以上の観衆から割れんばかりの拍手、万歳三唱がわき起こったという。当時の聖火は、米施政権下の沖縄に「戦後復興や本土復帰への大きな希望を与えた」という宮城さん。「聖火リレーが被災者の勇気や元気の源になってくれたら」と期待した。

★聖火台は?

 開閉会式が行われる新国立競技場は、設計時に聖火台の設置場所が考慮されていない。関係組織トップを集めた調整会議は12日、聖火台の設置場所を議論する検討会議を立ち上げることを決めた。組織委や都、国の代表者がメンバーとなる。組織委の武藤敏郎事務総長は「(開会式では)フィールド部分で(聖火台に)点火する可能性がある」と述べ、開閉会式での設置場所は式典の演出に応じて決める考えを示した。

★前回のリレーは

 1964年東京五輪の聖火リレーは、同年8月21日の採火後「国外リレー」としてアテネからイスタンブール、テヘラン、ニューデリー、バンコク、マニラ、香港、台湾などを空輸で巡り、9月7日に返還前の沖縄に到着。鹿児島県、宮崎県、北海道の3起点から国内リレーが行われ、10月10日の開会式では、原爆が投下された45年8月6日に広島県で生まれた坂井義則氏が最終走者として聖火台に火をともした。国内での参加走者の総数は10万713人、距離は6755キロだった。

★解説

 聖火リレーのスタート地点は東日本大震災の被災地とするか、1964年東京五輪と同じ沖縄県とするかの2択だった。IOCが定める「一筆書き」で47都道府県を巡るには、沖縄から北上するルートが運営上は「合理的」(組織委幹部)。リレーは20年3月に始まることから、桜前線を追うように設定する方が、寒さや雪を避けられるメリットもあった。しかし、組織委は「復興五輪という趣旨、位置付けを強く意識して検討を進めてきた」結果、福島県を出発点に選んだ。