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【二十歳のころ 井上康生(2)】黒帯に「かず子」…天国の母に捧げた世界一

【二十歳のころ 井上康生(2)】

黒帯に「かず子」…天国の母に捧げた世界一

特集:
二十歳のころ
シドニー五輪の表彰式で亡き母・かず子さんの遺影を掲げた井上。母子の関係性が表れた象徴的なシーンだった

シドニー五輪の表彰式で亡き母・かず子さんの遺影を掲げた井上。母子の関係性が表れた象徴的なシーンだった【拡大】

 勝利への執着が芽生えたのは、母(かず子さん)のおかげなんだ。神奈川・東海大相模高3年時、1996年のインターハイ県予選決勝でのこと。判定で予期せず敗れ、連覇を狙った全国への道を断たれた。

 ふがいなさで、表彰台に立っても涙が止まらない。すると、観客席で見守っていた母が突然立ち上がり、表彰式が続く畳の上に向かってくる。表彰状を取り上げ、なんと破り捨てた。

 「あなたに2番は似合わない。勝たなきゃ駄目なのよ」

 微妙な判定だったから、息子が勝ったと判断したのかもしれない。とても温厚な人だっただけに、初めて激しい一面を目にして衝撃を覚えた。あのとき、勝利が絶対と痛感した。母の私にかける思いを受け止めることなくして、ここまでの柔道家にはなれなかった。

 高いレベルを求めて東海大相模高への進学を志した。宮崎を離れると決めた中学2年の終わりころから、肩身の狭い思いをするようになる。周囲は地元の高校での活躍を期待したからだ。宮崎市の名門「静充館」だけでなく、兄(次男の智和さん)が籍を置いた宮崎日大高にも出稽古していた。どこでも冷たい視線を向けられる。指導者でもあった父(明さん)は、特に嫌な思いをしたに違いない。そんなときも母は私の味方で、考えを尊重してくれた。「強くなりたいなら中央(首都圏)に行きなさい」とね。あの一言に背中を押された。

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