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【二十歳のころ 中嶋悟氏(4)】車とレースに対する情熱があった

【二十歳のころ 中嶋悟氏(4)】

車とレースに対する情熱があった

特集:
二十歳のころ
中嶋悟氏(右)は鈴鹿サーキットレーシングスクール校長として佐藤琢磨(左)ら“二十歳のころ”のレーサーを育ててきた=1997年 (写真提供・モビリティランド)

中嶋悟氏(右)は鈴鹿サーキットレーシングスクール校長として佐藤琢磨(左)ら“二十歳のころ”のレーサーを育ててきた=1997年 (写真提供・モビリティランド)【拡大】

 1978年は結果的に全日本F2のタイトルを逃したけれど、英F3に出た僕を見ていた人がいた。11歳年上の伝説的なドライバーで、その時期に引退した生沢徹(いくざわ・てつ)さんだ。

 スタート直後の事故を見ていたそうで「お前がひっくり返るのを見てた」って。「俺ともう一度、ヨーロッパに行こうぜ」と誘ってくれた。そのまま所属していれば同僚の星野一義さんか僕が、自動的に全日本F2のタイトルをとることができた国内最強チームの「ヒーローズレーシング」を去り、生沢さんの「i&iレーシング」に移籍する決断をした。

 世話になったチームを去ることは、辛かった。ただ、海外で戦ってきた生沢さんの「世界を目指そうぜ」という言葉と、78年に英国で見た本場のF1への情熱は抑えようがなかった。

 ヨーロッパに行くにはそれから3年かかったけど、全日本F2の生沢さんのチームの車に、当時F1復帰を目指していたホンダのエンジンが載ることになったのは幸運だった。81年に初めてチャンピオンになり、82年には連覇した。87年にホンダエンジンを載せたロータスから、F1にデビューすることにもつながった…。

 二十歳のころ、何が大切かというのは難しいな。情熱は必要だけど人によって比べようがないし、時代や社会情勢によって答えは違うから。

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  • 人並み外れた才能と情熱でF1に挑んだ本田宗一郎氏=二十歳のころ撮影(写真提供・Honda)
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