2017.10.18 11:00(1/3ページ)

【二十歳のころ 中嶋悟氏(2)】ライバル減り鈴鹿サーキット独り占め

【二十歳のころ 中嶋悟氏(2)】

ライバル減り鈴鹿サーキット独り占め

特集:
二十歳のころ
恩人の碧南マツダ・田中梅夫社長(左)と鈴鹿サーキットのピットにて (写真提供・碧南マツダ)

恩人の碧南マツダ・田中梅夫社長(左)と鈴鹿サーキットのピットにて (写真提供・碧南マツダ)【拡大】

 二十歳になった1973年。高度経済成長の折、いろいろなことが起きた。73年といえば第1次オイルショック。物価がグ~ン! とはね上がって。トイレットペーパーの買い占めとか、世間的には大変だったけど、兄貴のガソリンスタンドで働いていた僕には、それほど悪いことではなかったように思うよ。

 当時、品薄なのはトイレットペーパーだけでなく石油で作られるタイヤも同じ。金に糸目をつけない時代だった。ダンプカーを使っている会社の社長が「タイヤを何百本でも買えるだけ買ってこい!」ってね。仕入れれば、すぐに高値で売れた。実家の納屋に入るだけタイヤを詰め込んで。うちは農家なのに納屋はいつもゴム臭かった。生来の車好きで、稼いだらすべて車につぎ込んだ。

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