2017.9.14 11:00

【二十歳のころ 坂本勉氏(3)】「やっと終わった」バースデー銅

【二十歳のころ 坂本勉氏(3)】

「やっと終わった」バースデー銅

特集:
二十歳のころ
ロス五輪に出場した自転車競技の日本代表チーム。後列右端が岡本雄作監督でその隣が中武克雄、後列左から3人目が坂本勉 (本人提供)

ロス五輪に出場した自転車競技の日本代表チーム。後列右端が岡本雄作監督でその隣が中武克雄、後列左から3人目が坂本勉 (本人提供)【拡大】

 1984年の7月、ロサンゼルスに入りました。前年の世界選手権で上々の成績だったので、1000メートルのタイムトライアルでもいい勝負ができると思っていたんですが完敗(13位)。日本の競技場はきれいで走りやすいんですが、海外はデコボコなところがあったり、走路が悪い。ロスも走りやすくはなかったですね。

 スプリントは日本の大会で中野浩一さんを破っていた中武克雄(53)=競輪選手として活躍中。ロス五輪では3回戦で敗退=のほうが、下馬評は高かったのかな。私は2回戦で負けて敗者復活戦に回りましたが、徐々に調子が上がってきました。それにスプリントは1対1の勝負だから(規定周回内で)相手に勝てばいい。タイムは関係ないし、開き直っていけました。準々決勝は際どかったですが、写真判定の結果、“4強”入り。日本記録を更新することができました(それまではモントリオール五輪の長義和のスプリント6位が自転車の日本最高成績)。

 準決勝は金メダルを取るゴースキーに0-2のストレート負け。この選手は米国がこの五輪のために英才教育をしてきた選手だから強かったですよ。競技の最終日が順位決定戦で、私は3、4位の決定戦に出場。勝てば銅メダルだけど、負ければなし。日本初のメダルがかかっているから、天国と地獄ですよね。

 私だけではなく、スタッフや仲間まで緊張してしまってね。岡本監督は「いつものお前の走りをすればいい」と言ってくれるんですが、その口調からも硬くなっているのがわかる。相部屋だった中武は決戦前夜、私をひとりにしてくれましたし、みんなが気を使ってくれた。余計に負けられないと思ったし、緊張で一睡もできませんでした。

 試合は午後2時ぐらいからでした。相手はベルヌ(フランス)で世界選手権などで顔を合わせていましたし、私の戦い方(先行タイプ)も理解していたと思います。欧州の選手はテクニックがあって、駆け引きがうまい。案の定、1本目から仕掛けてきました。私の機先を制してベルヌが主導権を奪う展開。追い上げていったときに接触もあって負けてしまったんですが、監督が走路妨害のアピールをして、審議の末にベルヌが失格。これで気持ちが楽になりました。2本目も相手が早めに動いてきましたが、すぐに巻き返して自分のスタイルで押し切ることができました。

 ゴールした瞬間は緊張や重圧から解放されて「やっと終わった…」と全身の力が抜けていく感じでした。そのぐらい心身とも追い込まれていたんでしょう。しばらくしてから、うれしさがこみ上げてきて、一生忘れられない22歳の誕生日になりましたね。メダルのご褒美もありました。帰国まで日程的な余裕があったので、監督にユニバーサル・スタジオに連れていってもらい、ジョーズなどのアトラクションを楽しみました。懐かしい思い出です。 (あすへ続く)

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