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【二十歳のころ 坂本勉氏(2)】“絶対に五輪へ”全力でつかんだ世界6位

【二十歳のころ 坂本勉氏(2)】

“絶対に五輪へ”全力でつかんだ世界6位

特集:
二十歳のころ
競輪学校での練習風景。20代はアマ、プロを通じてひたすら練習に励み、トップを目指した (本人提供)

競輪学校での練習風景。20代はアマ、プロを通じてひたすら練習に励み、トップを目指した (本人提供)【拡大】

 日大自転車部の合宿所は世田谷の八幡山にありました。上下関係が厳しい時代でしたからね。1年生は40~50人分の食事を作って、掃除、洗濯をしなければならない。2、3時間しか寝ていられないし、先輩はアラを探して言いがかりをつけてくる。風呂も作法や順番があるから面倒くさかった。夏場は風呂には入らず、屋上にある洗濯機のホースで体を洗っていたほどです。今では笑い話で、先輩たちとも仲がいいけど、下級生の時は合宿所や大学にいるのが嫌で嫌でしようがなかった。

 冬場のオフシーズンになると、1カ月に1日だったかな。サービスデーみたいなものがありました。その日は門限(通常は午後9時)なしで、翌朝の午前6時半の朝食までに戻っていればいい。夕食を食べ終わると、すぐに合宿所を飛び出しました。お金がないから、同期の連中と新宿や近くの公園をブラブラするだけでしたけどね。それでも気分転換になったし、十分楽しかった。かわいいものです。

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