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【二十歳のころ 日高逸子(3)】同期が模擬レースで大けが…「もう辞めたい」

【二十歳のころ 日高逸子(3)】

同期が模擬レースで大けが…「もう辞めたい」

特集:
二十歳のころ
日高逸子

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 山梨県にあったボートレースの本栖研修所(現在は福岡県柳川市のボートレーサー養成所)に入所したのは、1984(昭和59)年の4月でした。22歳で当時は年齢制限の上限ギリギリ。選手のなかには何回も受験した人もいるけど、私は1回で合格しました。確か翌年には上限が21歳未満に引き下げられたので、本当にツイていました。

 受験したのは800人以上で、合格したのは50人くらい。それが卒業するころには男子12人、女子12人くらいに減っていた。時速80キロのスピードで争うボートレース。事故になれば大けがどころか、命を落とすことさえある。そんなに危険な仕事というのも知らず飛び込んでしまった私。当然ですが、何度も挫折を味わうことになります。

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