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【二十歳のころ 吉田照哉氏(4)】「面白い日本人がいるよ」岡田繁幸氏と運命の出会い

【二十歳のころ 吉田照哉氏(4)】

「面白い日本人がいるよ」岡田繁幸氏と運命の出会い

特集:
二十歳のころ
1994年、岡田繁幸氏(右)と父、善哉の墓参りへ。若き日に思った通り、岡田氏とは一生の付き合いとなった (岡田繁幸氏提供)

1994年、岡田繁幸氏(右)と父、善哉の墓参りへ。若き日に思った通り、岡田氏とは一生の付き合いとなった (岡田繁幸氏提供)【拡大】

 父の吉田善哉が“衝動買い”した米国ケンタッキー州の牧場、フォンテンブローファームで場長として過ごした4年間は、採算が取れず悩みながらも、馬乗りも生産も経営も全て、若さゆえの一生懸命さで乗り切りました。

 もちろん、楽しみも喜びもありました。北米3歳王者に輝いたワジマが走るときは喜び勇んで競馬場へ行ったし、アーサー・ハンコックと出会えたのも幸運でした。そして、私と同じ日本の若きホースマンとの出会いも大きな財産になりましたね。

 1973年7月、キーンランドのせりで1歳のワジマを当時の史上最高価格の60万ドルで落札直後、預けていたクレイボーンファームに馬を見に行ったときでした。「面白い日本人がいるよ」と牧場のスタッフに言われたのです。

 「オカーダ!」と従業員が笑いながら呼ぶと、厩舎の2階から寝起きの顔をした長身の男が降りてきました。これが、後にビッグレッドファームグループの代表となる岡田繁幸との初対面。スタッフにからかわれる姿を見て「アメリカ人に人気があるな」と思ったものです。

 異国の地で出会った同世代の日本人同士だけに、すぐに親しくなりました。うちの牧場に来ると、必ず日本のレコード、森進一らの演歌を聴いていましたね。そしてよく食べる。永坂更科のそばには目がなかったですね。乾麺はゆでるとすごく増えるので、一把の半分を入れようとすると「全部入れろ!」って。「半分くらいが適量」と言っても「大丈夫」の一点張り。特盛りのそばをペロッと完食ですよ。日本の味に飢えていたんでしょうね。異国で寂しかったんだと思いますよ。

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