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【二十歳のころ 吉田照哉氏(2)】競らずに落札“10万ドルの黄金”ノーザンテースト

【二十歳のころ 吉田照哉氏(2)】

競らずに落札“10万ドルの黄金”ノーザンテースト

特集:
二十歳のころ
1975年、米ベルモント競馬場でワジマと。60万ドルで購入した同馬は種牡馬入りの際に売却したが、ノーザンテーストは手放さなかった (吉田照哉氏提供)

1975年、米ベルモント競馬場でワジマと。60万ドルで購入した同馬は種牡馬入りの際に売却したが、ノーザンテーストは手放さなかった (吉田照哉氏提供)【拡大】

 二十歳のころ、大きな転機が訪れました。大学に入ったばかりの私を、父の吉田善哉が海外に連れて行くようになったのです。父には英語が多少話せて車を運転できる便利な奴だったのでしょうが、米国のサラトガで、初めて海外のせりを見たときのことは忘れられません。見る馬のほとんど全てが素晴らしく、すごく驚いたのです。

 それから数年後の1972年、衝撃を受けたサラトガで、人生を左右する馬と出会いました。そこで購入したノーザンテーストです。

 米国キーンランドのせりが終わると、父は「あとは任せる」と帰国。大学を出たばかりの私が全てを託されました。使命は、種牡馬にするノーザンダンサー産駒の1歳馬を買うこと。各国のせりを回って、父と「あの馬は、いい子を出す」と意見が一致していたので、種牡馬にするならノーザンダンサーの子と決めていたのです。

 せりには4、5頭のノーザンダンサーの子が出ていました。上場馬全ての特徴を把握できるほど、特にノーザンダンサー産駒は穴の空くほど見ました。断トツだったのが4日目に上場される栗毛の馬。小さかったですが、米国で種牡馬を見て回っているうちに、優秀な種牡馬は思いの外、小柄な馬が多いことが分かっていました。要は馬がいいかどうか。「買うならこの馬しかいない!」とせりに臨みました。

 10万ドル(当時のレートで3080万円)からスタート。すかさず手を挙げました。ところが誰も競りかけてこない。しばしの沈黙のあとでハンマーが打ち下ろされました。落札。20万ドルまでは競るつもりだったのであっけなかったですが、それ以上に喜びの方が大きかった。

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