2017.4.19 14:15(1/2ページ)

瀬古氏、“禁断の領域”国内大会に改革のメス 現役時代に味わった“一発選考”の経験を生かせ/マラソン

瀬古氏、“禁断の領域”国内大会に改革のメス 現役時代に味わった“一発選考”の経験を生かせ/マラソン

瀬古利彦氏

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 “一発選考”の難しさを経験したからこそ、言葉に重みがあった。日本陸連が2020年東京五輪マラソン代表選考方法を、五輪前年の9月以降に開く選考大会「グランドチャンピオン(GC)レース」で男女各2人を自動的に代表とすると発表した。日本陸連のマラソン強化戦略プロジェクトリーダーを務める瀬古利彦氏(60)は、「今年から東京五輪を目指して試合やトレーニングをしないと間に合わない。選手がやる気になってもらえればいい」と狙いを説明した。

 30年前の苦い記憶がよみがえった。1988年ソウル五輪代表選考レースは87年9月の世界選手権、同12月の福岡国際、88年の東京国際、びわ湖毎日の4つだったが、日本陸連は瀬古氏を含めた候補選手6人に原則として全員が福岡国際に出場するよう要請。事実上、福岡国際での日本勢上位3人が代表となる一発勝負と受け止められていたが、瀬古氏が11月の東日本実業団駅伝で左足首を骨折し福岡国際を欠場したため選考が混迷した。

 最大のライバルで福岡国際を制した中山竹通氏が、「はってでも出てこい」と発言したと当時は報道された。実際は「もし僕が瀬古さんの立場だったらはってでも出ないと選んでもらえないでしょうね」というニュアンスだったが、コメントが曲解されたことで瀬古氏に対する風当たりは増していった。瀬古氏はびわ湖毎日で優勝したが、タイムは2時間12分41秒にとどまった。福岡国際で日本勢3番手だった工藤一良氏の記録は2時間11分36秒で瀬古氏より1分以上速かった。重視するのは順位か、記録か-。選ばれたのは瀬古氏だった。物議を醸した上での代表入りは、一部で反感を買った。

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