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【二十歳のころ 具志堅用高(3)】「具志堅のためにできた」ジュニアフライ級で世界王者に

【二十歳のころ 具志堅用高(3)】

「具志堅のためにできた」ジュニアフライ級で世界王者に

特集:
二十歳のころ
昭和51年、21歳の具志堅がついに世界王者に。背景には新階級の設立があった

昭和51年、21歳の具志堅がついに世界王者に。背景には新階級の設立があった【拡大】

 人生を左右するような巡り合わせが、二十歳のころにもたらされた。

 昭和50(1975)年から、フライ級の下にジュニアフライ級(現ライトフライ級=48・9キロ以上)という階級が新設された。「具志堅のためにできたような階級」なんて言われたものだよ。

 インターハイではモスキート級で、体重45キロ以下の階級だった。でも僕がプロに入った当時は、50・8キロがリミットのフライ級が最軽量級。当然だけど体の大きさも、パワーも全く違った。

 昭和49年5月のデビュー戦と9月の2戦目は、ともに牧公一選手=田辺=が相手だった。KO勝ちを期待されていたのに、2試合とも何とか判定勝ち。いいパンチが入ったと思っても、牧選手は平気な顔で反撃してきた。プロの壁、体格の壁を思い知らされたよ。

 当時の軽量級の選手は、あまり筋力トレーニングをしなかった。でも協栄ジムの金平正紀会長からは、後楽園にあったトレーニングジムに通うことを命じられた。体を大きくしろということ。そんな矢先にジュニアフライ級が新設されて、それから水を得た魚のようになっていったんだ。

 昭和51年10月10日。甲府市の山梨学院大体育館の特設リングに立っていた。初めての世界挑戦。興奮もせず、かといって不安でもなかった。思い返すと、そんな心境だった気がするなあ。

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