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【二十歳のころ 具志堅用高(2)】「世界王者になれば家が建つ」プロでやる気になったんだ

【二十歳のころ 具志堅用高(2)】

「世界王者になれば家が建つ」プロでやる気になったんだ

特集:
二十歳のころ
昭和48年、興南高3年のインターハイではモスキート級で優勝。この頃は五輪での金メダルを思い描いていたが…

昭和48年、興南高3年のインターハイではモスキート級で優勝。この頃は五輪での金メダルを思い描いていたが…【拡大】

 青雲の志をもって、羽田空港に降り立った。18歳だった昭和49(1974)年3月、オリンピックに出場するという夢を抱きながら、大学進学のため沖縄から上京したんだ。

 ところが到着口を抜けると、待っていたのは協栄ジムの高橋勝郎マネジャーだった。車に乗せられて後楽園のジムに連れていかれ、金平正紀会長に会わされた。「金メダルでは飯を食えんぞ。プロで世界王者になればご両親にも親孝行ができる。家だって建つ」。そんな言葉で説得されたんじゃなかったかな。

 そのときにはもう、プロでやる気になってしまった。まあ、引き抜きみたいなものだったね。

 故郷の石垣島から興南高(那覇市)に入学したとき、下宿したのが「上原湯」。協栄ジムの先輩で元世界王者の上原康恒、元日本王者のフリッパー上原兄弟の実家の銭湯だった。2人のお兄さんである勝栄さんに、ボクシングの基礎をたたきこまれたよ。

 上原一家はみんな、僕をプロでやらせたいと思っていた。ともに日大を経てプロ入りした上原兄弟から「大学を経てプロに入るのは遠回りだよ」と諭されたことも、進学をやめてプロに入る後押しになった。

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